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2000/11/10

<韓国文化>21世紀の在日―日本の対韓ナショナリズム

「21世紀の在日―日本の対韓ナショナリズム」

 姜徳相・滋賀県立大学教授の講演から

 韓日が互いの歴史を鏡に

 埼玉県日高市の聖天院勝楽寺で行われた「在日韓民族無縁之霊碑」の完成法要で姜徳相・滋賀県立大学教授が「21世紀の在日|日本の対韓ナショナリズム」と題して講演を行った。姜教授は、戦前から戦後にかけての日本人の韓国に対する蔑視の形成過程を述べた上で、韓日がお互いの歴史を鏡にしなければならないと説いた。講演の要旨を紹介する。


 最近、自由主義史観というものが日本でいろいろ論議されている。抗日義兵闘争の写真を教科書に載せるのは「自虐史観、反日史観だ」といっている。実に慄然とさせられる。日本の学問は、日本の近代の成り立ちと深いかかわりを持つ隣国の歴史をあまりにも無視して来、そのことが日本と近隣諸国とのギャップ、トラブルを生んできた。私たちは過去40年間、朝鮮近代史・日朝関係史の研究の中でそういってきた。そしてようやく、日本の文部省・学会に少しずつ市民権を認めさせてきた。その結果、抗日義兵闘争の写真が教科書に登場するようになり、あるいは従軍慰安婦などの隠された歴史が、不十分ながらも教科書に載るようになってきた。それに対して、真っ向から攻撃を加えてきたのだ。私はそこに日本の奥深い対韓ナショナリズムの存在を感じる。

 日本の近代は、対韓ナショナリズムという視点からは150年という歴史があり、50年単位に3区分できる。明治維新を挟む前後各25年、日清戦争まで、これを第1段階とする。ここには隣国を侵略して自分の体制の中に収めてしまいたいという、豊臣秀吉と同じナショナリズムの衝動が見られる。

 第2段階は日清戦争から1945年の朝鮮解放まで、これは第一段階の歴史が一応の成果を見て、隣国を自国の体制の中あるいは排他的な独占権の中に置いた時期である。この間は、支配下に置いた朝鮮人による反抗への不安、独立運動に対する恐怖にとりつかれている。この時期の日本人の朝鮮観は不逞(ふてい)鮮人という言葉でくくられている。

 第3段階は、解放後今日まで。自身をなくしていた日本が再起するために、体制の中で自分たちよりもっと下の者がいる、周辺にもっと貧しいみじめな国がある、そういう意味で内的に在日朝鮮人を限りなく差別、排外していく。外的には朝鮮の分断状況を最大に利用し、韓国・朝鮮を貧しい国、みじめな国とみなしていく。そのような構造になっている。

 以上のような問題が戦後の日本の中にある。そしてそれを日本の民衆は知らない。知らないことによって加担しているのである。これが日本の戦後の民主主義をねじ曲げたのである。

 以前に日教組か何かの会に呼ばれて話をしたことがある。「教室に在日朝鮮人の子供がいるはずだ。その子供は14歳になると入管に行って指紋を押さなくてはならない。入管に行く場合、東京の場合でも半日はかかる。学校を休んで指紋を取られてくる。そういうところに行って日本国家の何か刺のようなものを体験してくる14歳の子供が管理の名目で要視察人にされることを、あなた方は自分の教育現場の問題としてなぜ取り上げないのか」と。実際、知らないのである。なぜ欠席するのかも解っていない人が多かった。

 そこで戦後日本の民主主義、内に自分たちだけの民主主義、外に排外主義という悪しき伝統が残っている。それは歴史に学ぶ、という姿勢がないということからくる。つまり日本の歴史が、近代が、アジア諸国民との連携の中で成り立っている。それらに大きな犠牲を与えた。ところが多くの日本人がそれをほとんど知らされていない。だから、官僚や政治家が勝手に国策だという形でやっていくことを許してしまう。

 数年前まで日本の旅券には「EXCEPT NORTH KOREA」と書かれていた。それがなぜなのか。また、そうしておいてあの国は情報がない、おっかない国だ、ということばかりが先に走る。

 これは自分の問題としてもう1回歴史に立ち返って見ていく必要があると思う。朝鮮の歴史を見る上でも日本史を鏡にしなくてはならない。日本史を見る場合でも朝鮮史を鏡にすることによって隠されているものが見えてくることがあるわけである。絡み合ってもたれあった歴史は深く双方を規定している。そのことをよく考えなくてはならない。そして、これから双方が友好で親善で、本当に近くて親しい友人になる。あるいはそういう関係を持っていくためにはどうしたらいいか。まず双方が歴史認識を合わせるということ。日本の対韓ナショナリズム、朝鮮の対日ナショナリズムをかみ合わせていくべきだと思う。

 とりわけ昨年のテポドン騒ぎ以後、日本は座標軸を大きく変えているように思える。ガイドライン法は「朝鮮半島や台湾は日本の生命線」といっているように聞こえる。日の丸国旗法案はいやでも国家と戦争を、日の丸はちまきに君が代を歌って散った特攻隊を連想するし、盗聴法は治安維持法の亡霊に見える。そういうことが大日本帝国への先祖返りであること、別の言葉でいえば排外主義を克服することを教えてくれるくれるのが朝鮮史、日韓関係史であると思う。


 カン・ドクサン 1932ねん韓国生まれ。早稲田大学文学部卒業。一橋大学社会学部教授を経て、現在、滋賀県立大学教授。専攻は朝鮮近現代史、朝鮮民族運動史。主な著書に「関東大震災」(中公新書)、「朝鮮独立運動の群像」(青木書店)。