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2000/10/06

<韓国文化>「日韓交流の窓」展によせて

「日韓交流の窓―釜山・蔚山・慶尚南道 歴史と風土の旅」展に寄せて
佐賀県立名護屋城博物館 学芸員 浦川和也

 韓日友好の歴史を交流の拠点に探る

 佐賀県立名護屋城博物館では、13日からから11月19日まで38日間、特別企画展「日韓交流の窓―釜山・蔚山・慶尚南道 歴史と風土の旅」を開催する。

 日本列島と朝鮮半島(韓半島)との間には長い交流の歴史があり、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)や近代の植民地支配など不幸な歴史を経ながらも、現在では様々な分野で密接な日韓交流が進められている。原始・古代からその交流の窓口となったのは、慶尚南道地域(釜山広域市・蔚山広域市・慶尚南道)であった。この展覧会では、慶尚南道地域の歴史と風土を紹介するとともに、この地域と日本列島との交流の姿を探ろうとしている。

 第1部「釜山・蔚山・慶尚南道への旅」では、この地域の史跡・名所や伝統芸能などを、慶尚南道地域で活動している写真家から提供された写真など約160点で紹介する。また、タル(仮面)や螺鈿漆器、ガッ(黒笠)など、この地域で伝統的技術を伝承している無形文化財技能保有者(人間国宝)の作品81点を展示する。¥GO¥写真¥MI¥のタルは、慶尚南道固城郡に伝わる「固城五廣大(コソン・オグァンデ)」(重要無形文化財第7号)という仮面舞踊に使われるもので、両班(ヤンバン)や僧侶、天女、農民など様々な登場人物に合わせて作られている。

 第2部「日韓交流の窓」では、朝鮮時代に慶尚南道地域に設置されていた「倭館」とそこで行われた交流、その後の様々な日韓「草の根」交流の姿を、大韓民国国史編纂委員会・釜山広域市立博物館及び東京大学史料編纂所・文化庁などの貴重な資料と館蔵資料で紹介する。

 倭館は、15世紀初めから1872年までの間、日本人使節の客館として朝鮮国政府が設置していたもので、「富山浦(プサンポ・現釜山広域市)の三浦倭館は、すべて慶尚南道地域にあった。江戸時代は、文禄・慶長の役の戦後交渉の場としての絶影島(ジョルヨンド)の「仮倭館」、国交回復後に設置された豆毛浦(トゥモボ)の「古館」、1678年に新築移転した草梁(チョリャン)の「新館」と、釜山の中で3カ所を変遷した。龍頭山(ヨンドゥサン)を取り囲む約10万坪(約3・3㌶)の敷地で新設された新館(草梁倭館)は、以後約200年間日朝交渉の窓口としての役割を果たした。写真の絵地図「朝鮮国八道地図」には、龍頭山と豆毛浦との間に倭館が描かれているが、古館と新館の両方の可能性がある。

 ところで、この展覧会では新しい試みとして、日韓の祭をテーマにした壁画を作成した。佐賀県の「唐津くんち」と慶尚南道昌寧郡の「霊山(ヨンサン)セモリデギ」をそれぞれ唐津市立大成小学校と霊山初等学校の児童に描いてもらい、それを原画にして、本館が所在する鎮西町の名護屋中学校と打上中学校の生徒に、各々2・7㍍×3・6㍍の壁画にしてもらった。手作りの壁画は、「交流の実践」となり、子どもたちの心の中に日韓交流の「種を蒔く」意義深いものとなった。写真は、展覧会のプレイベントとして、9月14日に開催した壁画完成式の一コマで、壁画は展覧会最終日まで展示する。

 今回の展覧会は、「倭館」を中心とした日韓交流の歴史とその「窓」であった慶尚南道地域を紹介する展覧会であるとともに、資料収集や壁画作成の過程で日韓の「草の根」交流を実践できたという意味でも、是非観覧していただければと思う。


 ◆2000年特別企画展「日韓交流の窓|釜山・蔚山・慶尚南道 歴史と風土の旅」

 10月13日から11月19日まで、佐賀県東松浦郡鎮西町の名護屋城博物館で開催(会期中無休)。入館料は大人320円、大学生210円、高校生以下と障害者は無料。電話0955・82・4905。

 ●筆者紹介
 うらかわ・かずや 1965年佐賀県生まれ。九州大学文学部国史学科卒業。98年4月から現職。