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2001/01/26

<韓国文化>画筆60年、呉炳学画伯

画筆60年、呉炳学画伯
 静と動、コリアンのリズム感表現
 夢は美術のルネサンス

 画筆60年。執念のように描き続けてきた呉炳学画伯(77)。「コリアンの感性をもって世界に通じる作品をつくりたい」――ナショナリストであるとともに、理想は極めて高く、絵筆を持つ手は妥協のない厳しさがある。物静かな風采からは窺い知れない強烈な情熱があるのだろう。在日画家の中でも異彩を放つ、孤高の画家とも言うべき呉画伯の作品200点以上を収めた本格的な画集が完成した。「統一祖国でのルネッサンスを夢見る」長年の思いが込められた一冊でもある。呉画伯に画筆人生を聞いた。

 ――いつから絵描きを志したのか。

 小さいころから絵が好きで、中学生のころに絵描きになろうと決意した。絵の勉強をするために1942年に単身で渡日、苦学しながら東京芸大で学んでいたが、「この教育内容では本当の油絵の勉強にならない」と中退した。パリに行って、本場の油絵を勉強したかったが、当時としては叶わなかった。

 折りしも50年代に入りブリジストン美術館がオープン、質の高い印象派の絵が数十点展示されていた。当時、弁当をもって日参したものである。巨匠たちの作品に対峙して、自分なりに分析して自己の作品の栄養としたかった。

 ――韓国のタル(仮面)や白磁の絵が多いが、どんな画家を目指したのか。

 私の尊敬する画家はセザンヌ、ゴッホ、ピカソ、クレー、ゴヤ、コローで、中でもセザンヌが最高である。構成力と色彩のハーモニーが群を抜いて素晴らしい。特に、自然に対する徹底的な追求がすごい。しかし、私はコリアンとしてのリズムを自分の体内にもっている。例えば、私の絵に「仮面舞」があるが、その踊りには躍動的なダイナミズムがある。一方、静かにしている時は徹底して静謐(ひつ)さに満ちている。それが踊りと白磁に表れている。ヨーロッパの油絵から学んだエッセンスを使って、この両方を普遍的に世界に通じる作品にしたい。

 ――呉画伯のオリジナリティーは。

 静物、人物、風景、人体など特定のジャンルにとどまるものではないが、自分のオリジナリティーとしてはやはり仮面や焼き物。これは他の国の人が私と同じ視点では描けないと思う。自分のオリジナルな世界をつくりたい、コリアンが持っているリズム感を色や形に表現したいという思いを込めている。

 ――一筋に60年というが、紆余曲折もあったのでは。

 苦労は多かった。絵書きでは食えないため、いろいろなアルバイトをやった。これは当時の在日に共通していたことではある。時には中断もあったが、挫けることなかった。自分の信念に従い画筆を折らずに続けてこれたのは、ひとえに絵画への情熱と執念だった。

 ――今回、画集刊行に至ったのは。

 私は貧乏絵描きであり、友人たちのおかげである。私は統一になるまで朝鮮籍を変えないという考えだが、古くからの友人で韓国籍の金潤氏が企画を立て、詩人であり実業家の金太中氏が刊行委員長を引き受けてくれ、写真家の新井利男氏が原画の撮影、三浦文世(ふみとし)氏が編集に協力して、印刷はソウルで行った。そういう意味ではもう分断の垣根はないと思う。

 ――金両基・常葉学園大学教授は、「在日に呉さんのような本格的な画家がいることを喜びたい」と高く評価しているが、今後の目標は。

 母国での美術のルネッサンスが夢だった。もう年齢からして残された時間は短いが、これを後輩たちに引き継いでほしい。その際、統一祖国という状況がほしい。南北が一つになれば素晴らしいことができる。歴史的に見ても、古くは高麗・李朝の焼き物、近くは音楽やスポーツの世界など、中国、日本などの隣人たちとは明らかに違う芸術性と個性をもっている。これは広大なユーラシア大陸の中を駆け抜けながら、マンモスのロシアと大国チャイナとせめぎ合いながら、われわれの祖先が守り通した遺伝子であり、プライドに満ちた民族の財産である。若い在日世代もこのプライドを堅持してほしい。

 北と南の首脳会談が実現、南北を結ぶ京義線が結ばれる。在日社会ではその線路に枕木の一つでも送ろうと「三千里鉄道」運動が展開されているが、私としてはソウルと平壌でも晴れて個展を開き、渡日するときに乗ってきた「三千里鉄道」で南北を行き来できる日を待ち望んでいる。

 <呉炳学画伯略歴>
 オー・ビョンハク 1924年平安南道生まれ。42年渡日。48年東京芸大中退。68年から各地で個展。90年に初めて渡欧(フランス、スペイン)、昨年は朝日ギャラリーで個展。今年1月「呉炳学画集」発刊。