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2001/08/10

<韓国文化>随筆

ハンセン病者の人間回復  崔碩義氏

 最近のビックニュースといえば、熊本地裁でのハンセン病国家賠償請求訴訟の勝訴と、当局の控訴断念であろう。

 熊本地裁の判決は、全面的に原告の訴えを認め、国家による隔離政策の誤りを断罪したものであった。その上、国家の立法不作為の法的責任を問い、憲法違反の人権侵害には、20年とういう除斥期間の適用はないという画期的な内容である。

 私は熊本地裁の裁判官たちの正義感と勇気ある判決に敬意を表したい。

 ところで、首相官邸で小泉首相と握手する原告代表の中に李衛(国本衛)さんの姿があった。また、金相権(佐川修)さんの写真も新聞に大きく出たが、金相権さんは、ハンセン病資料館の生き字引のような方である。このように在日韓国・朝鮮人の病者の有志が、今回の戦いの先頭に立って活躍していることは高く評価できるだろう。

 この裁判は、人間回復のためには避けて通れない戦いであったと私は思っている。国家による長期間にわたる理不尽な人権蹂躙、また迫害に対して、謝罪、名誉回復を求めるというのは百万遍正当なものである。いうまでもないことだが、人間は誰しも人間らしく生きる権利を持っている。賠償金だけを目的にしたケチなものでは決してなかった.。

 異国で不幸にしてハンセン病にかかって苦しんできた在日病者は年々少なくなって、今は全部で230余人が在園していると聞く。なお、日本各地の療養所の納骨堂には千人を越す同胞の亡霊が眠っているのである。
さきごろ、在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟の金奉玉委員長(74才)は、ある民族新聞のインタビューに答えて、次のように呟いたという。

 「日本政府の訴訟断念表明は歓迎しますが、あまりにも(私たちは)年をとりすぎた。すべてがもう遅いんです。」

 私は、その新聞記事を読んで胸が詰まり、瞼が熱くなるのを覚えた。失われた歳月は取り戻せるすべがないのである。私は、在日のハンセン病者の悲哀が、かくも深いものであったかと改めて思い知った。果たして、非ハンセン病者に、ハンセン病者の本当の苦しみが理解できるものなのだろうか!と。

 今日まで、在日の病者といえども間断なく民族差別にさらされてきた。その最もたるものは、1959年に始まった福祉障害年金の支給に際して、外国人の病者を除外したことである。これは精神的にも生活的にも同胞病者に大きな困難と憤慨をもたらした。この処遇の差別をなくす闘争のために「在日ハンセン病患者同盟」を結成し、強力な運動を展開して、やっと、「自用費」という名目で支給するようになって一応差別は解消した。

 最後に、韓国の事情について一言述べると、早く強制隔離を止めて、各地に定着村を作る政策に移行したが、まだまだ国民の間にハンセン病に対する偏見と嫌悪感が根強く残っていて、問題が解決したと到底いえない。