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2001/04/06

<韓国文化>「奈良・キトラ古墳の「朱雀」に思う」

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        キトラ古墳で発見された「朱雀」の壁画

「奈良・キトラ古墳の「朱雀」に思う」
  李進熙・和光大学名誉教授

高句麗の類例に目を向けよ
百済系渡来人の里、またも壁画発見

 4月4日の朝刊各紙は第1面に「朱雀」のカラー写真を掲げ、朝日新聞は「飛鳥の不死鳥現代に」、読売新聞は「羽ばたく飛鳥の朱雀」の見出しで、キトラ古墳の南壁でそれが見つかったと大きく報じた。暗いニュースが多いせいか、私には心なごむ朝になった。

 この古墳は有名な高松塚壁画古墳の南約1㌔のところにあって、1983年と98年に小型カメラで撮影したときには、南壁について一言も言及されなかった。しかし、南壁にはやはり朱雀が描かれていたのである。これで高松塚に朱雀が描かれなかったという主張は成立しなくなった。盗掘穴から流れ込んだ土砂のため、消えてしまったと見るべきだろう。

繊細な描写、美しい朱色

 新聞の写真を見ると、デジタルカメラで撮影した朱雀の画像は鮮明で、縦約20㌢、横約60㌢の大きさ。羽根や足の表現は力強く、目や耳、とさかの描写も繊細で、縁取りの黒線も見事である。とりわけ頭部や羽根の朱色が美しい。

 玄武は北壁の上半分のほぼ中央(天井から高さ約4分の1の位置)に描かれていて、高松塚のそれとよく似た構図である。亀と蛇が格闘している姿としては迫力に欠けるが、鮮明に残っているのが嬉しい。北壁の下半分には人物が描かれていたらしく、ワラビ状の朱線が確かめられるという。

 東壁の上半分には青龍が描かれていて、南を向いて大きく口をあけ赤い舌を長く出して飛びかかる様で、高松塚のそれと酷似している。下半分は雨水による汚れのため、判別できない状態であるが、長い舌の表現は高松塚のそれを連想させる。

 見逃してはならないのは、高松塚の場合は東壁と西壁を各々3等分して中に青龍、白虎を描き、前後に人物像を配置しているのに、キトラ古墳は壁面を上下に分け、上面に4神、下面に人物像を描いたようである。上下に分けて壁面を配置するのは、高句麗にその例が見られるのである。

 今度撮影された南壁の朱雀は、羽根を大きく上にひろげて左足を前に引き上げ、右足を後ろに流していて、西に向けてまさに飛び立とうとする瞬間の姿である。新聞各紙はこれに注目、「朝鮮の古墳にない独特の躍動感」とか「日本流にアレンジした表現」だと、つまり「日本的」であると協調する。

「日本独特」の論調に疑問

 しかし、集安の高句麗壁画には(五盔墳四号墓)飛び上がって、両足を後ろに流そうとする朱雀が描かれている。平壌南方の江西中墓の朱雀は両足が地に着いているが、大きく羽ばたいて飛び上がる直前の姿なのである。「日本独特」「日本流」を強調する前に高句麗の類例に目を向けるべきだろう。南壁の下半分は壁面の汚れのため、ほとんど判別できない状態だという。

 西壁の上半分には、中央に高松塚のそれとよく似た白虎が描かれているが、不思議にも南ではなく、北の玄武の方を向いている。白虎は南から侵入する敵に襲いかかるのが本来の姿であるのに、反対側を向いているのである。

 ここで、高松塚の壁画についてコンピューター画像を分析した東海大学情報技術センターの成果を見ておこう。

 まず青龍の写真を反転させて白虎に重ねたところ、胴体の部分の輪郭線がぴったり一致し、足の動きや爪の形も酷似していたという。また、横向きの6人の女性像は顔の輪郭と、目や鼻、口の位置が一致したのである。

 つまり、下絵を描いた型紙を壁面に当てて輪郭線をなぞり、人物の髪や頬、目や唇など細部を表現する過程で、変化をつけ別人に仕上げたのである。

 青龍と白虎の場合もひとつの型紙で輪郭線をなぞり、虎と龍の顔をおのおの描き、龍の鱗やたて髪、虎の斑点、爪などの細部を描いていく過程で違ったものに仕上げたのである。

 ここで注目したいのは、高松塚壁画の白虎を反転させると、キトラの白虎とそっくりになることである。つまり、高松塚と同じように粉本(手本・下書き)を使っているようである。しかしどういうわけか、反転させた状態でなぞらえ白虎に仕上げたため、北向きの白虎になってしまったのである。

 このことは粉本使用のうっかりミスか、守護神として四神の理解がすでに薄れてきたことを示すものと見るべきだろう。

 最後に見逃してはならないのは、キトラ古墳や高松塚壁画古墳が飛鳥文化発祥の地・檜隈で発見されたことである。そこは、百済から渡来してきた東漢(やまとのあや)の居住地で、東アジアに目を向け、絶えず新文化を受け入れる「開かれた世界」でもあったのである。

 さらにいうならば、高句麗壁画古墳は百済に伝わり、さらに百済から飛鳥にもたらされたのである。