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2002/11/01

<韓国文化>黄金期28本を一挙上映

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    文芸映画の秀作 「カササギの声」

 東京国立近代美術館フィルムセンター、韓国映像資料院、国際交流基金は共同で、6日から12月25日まで韓国映画の連続回顧上映会『韓国映画-栄光の1960年代』を開催する。同上映会では、「60年代韓国映画には無数の宝石が輝いている」(トニー・レインズ)と評される韓国映画黄金時代の秀作28作品(うち27作品は日本未公開)が一挙上映される。60年代の韓国映画の特徴、そして韓国映画の日本での上映史について紹介する。


 ◆文芸映画が人気   鄭秀婉全州国際映画祭プログラマー

 韓国映画は1955年、李圭煥監督の「春香伝」が観客動員20万人を記録する大ヒットとなった後に活発になり、60年代に入ってから本格的に産業として、また娯楽として発達した。この点で60年代が韓国映画の黄金期であると言える。製作本数も69年の229本をピークとしてそれ以降減少傾向を見せる。

 60年代の韓国映画ブームは、映画の産業的な部分のみならず、映画界全体にも広がっていた。大学に映画学科が設立され始めたのもこの時期。59年の中央大学に始まり、60年には漢陽大学と東国大学、ソラボル大学と相次いで演劇映画学科ができ、映画が学問として興味をひくようになる。これとともに62年の大鐘賞、65年の白像芸術大賞の制定は、映画が娯楽と産業として位置づけられるようになったことを示している。

 この時期の韓国映画の量産により大きい影響を及ぼしたのは、61年5月16日の軍事革命による新政府が62年に制定した韓国最初の映画法だ。

 もちろん映画界を再編成し、映画製作を統制しようとする独裁政府の意図が隠されたこの映画法が韓国映画史に及ぼした影響に対しては賛否両論あるが、60年代韓国映画の量的な増加に及ぼした影響は否定できない。

 また、この映画法がこの時代の韓国映画に及ぼした良い影響の1つは、優秀映画補償制度だ。優秀映画に選ばれると製作会社に外国映画の輸入権を与えられる同制度のおかげで、60年代に文芸作品と呼ばれる一連のすばらしい映画が製作された。

 今回上映される「聾唖の三竜」「南と北」「将軍の髭」「カインの末裔」などはこの時代の代表的な文芸映画。しかしながら、映画法制定により、検閲が強化され、現実批判など多様な視点を持った映画製作が阻害されたことは残念だ。

 また、60年代には政府の映画統制により、民衆の統治に利用しやすい時代劇が多く作られた。しかし、なかには政府の意図と異なって、監督が独裁政府を批判するために時代劇を利用したり、現実社会を直接批判することが困難なために、過去を舞台とする時代劇で密やかに社会批判的な内容を扱ったりすることもあった。今回上映される「燕山君」や「李朝女人残酷史」がそのような作品だ。


 ◆文化交流に貢献  国際交流基金アジアセンター 石坂健治氏

 1970年代末まで、韓国映画が日本で上映される機会は稀で、一般公開としては62年の「成春香」(申相玉監督)、66年の同監督の「赤いマフラー」などが記録に残っている程度で、65年の韓日国交正常化後も事態はさして変わらなかった。

 この時期、映画祭での上映を考慮すると、54年に創始された「アジア映画祭(現アジア太平洋映画祭)が日本で開催されたときに、他のアジア諸国の映画とともに韓国映画も出品された。

 79年、駐日韓国大使館の韓国文化院が定例上映会を開始した。

 83年には西武百貨店池袋店内の小劇場「スタジオ200」で定期的に韓国映画特集が開催されるようになった。90年代には渋谷シードホールが積極的に韓国映画を上映した。

 98年の金大中政権発足に伴う文化振興政策により、韓日映画交流も加速度的に進んだ。99年には許秦豪監督の「8月のクリスマス」がヒットした。

 そして2000年1月、「シュリ」が記録的大ヒットとなり、社会現象となった。続いて2001年5月には「JSA(共同警備区域)」が「シュリ」に次ぐヒットを記録した。今回の企画は日韓の映画韓国映画はもはや少数向けの特殊なものではなくなった。

韓国映画―栄光の1960年代―

 日時:11月6日~12月25日       
    月~金曜日:午後3時、7時開映  
    土、日曜日:午後1時、4時開映  
 場所:東京国立近代美術館フィルムセンター
 料金:一般1,000円/高大生・シニア800円

扈賢贊(元韓国映像資料院院長)講演会 
 
 日時:11月6日午後7時~8時      
 ℡03・5777・8600(フリーダイアル)。