ここから本文です

2002/08/02

<韓国文化>戸田志香の音楽通信

  • bunka_020802.jpg

    ボランティア参加した韓国の女子学生が日本の障害者と記念撮影。7、8月に日本で福祉実体験に臨む

 「音楽ってそれまで互いに知らなかった人たちが、そしてことばが通じない人たちがひとつになるんだ、偉大だなあって思いました」。日韓障害者交流の「第九」公演ビデオを見た、江原大学校日本語学科四年生の崔垠静さんのことばだ。

 崔さんの見たビデオはライラックの花の香りが漂っていた四月、韓国の水原とソウルでおこなわれた日韓障害者たちが主役となった「第九」(ベートーベンの交響曲九番ー合唱つき)公演だ。この公演をしかけた‘私たちは心で歌う目で歌う合唱団’は、東京・豊島区にある地域福祉研究会‘ゆきわりそう’を利用する重度の障害を持つ人たちや家族、そしてゆきわりそうのスタッフ、地域の人たちが加わって1989年につくられた。

 「障害者は戦場では生きられない。平和な地でしか生きることができない。戦争は新たな障害者を生む」。この大きな主張を持ち、これまで国内はもとよりドイツのボン、ニュージーランドのオークランド、ニューヨークのカーネギーホールで「第九」を歌ってきた。

 韓国公演は多くの人の協力があった。公演会場のソウルと水原では誠信女子大学校の、そして観光に出かけた春川では江原大学校の日本語学科の学生がボランティア通訳として参加してくれた。「こちらが頼まなくても、韓国の学生さんたちは障害者のことを細かく気遣ってくれてね」と、ゆきわりそうの音楽スタッフはそれが嬉しかったと話す。

 誠信女子大のある学生は言う。

 「これまでは障害者を避けていた。でも今回、障害者も健常者に負けず明るく闊達な性格を持っていることがわかった。韓国の障害者にも一歩近づくことができるようになった」。

 この大学生たちとの出会いを韓国公演の大きな成果としたゆきわりそうの代表・姥山寛代さんは、誠信女子大と江原大の学生受け入れを考えた。

 障害者・高齢者などの福祉現場のプログラムを実体験し、その過程で習得した日本語力を高める。ゆきわりそうも彼らを通して韓国を学ぶ、というのが目的だ。期間は2週間。ゆきわりそうがおこなう各種のプログラムに加わり、障害者・高齢者などへのケア、そしてイベントに参加するなど、生の現場を体験する。

 誠信女子大の講師・奥村祐次さんは「ボランティアを通した心の触れ合いの体験と交流が、日韓という国の枠を越えられる」と期待している。

 7月半ばに第1陣14人が到着した。「学生さんたちがとっても可愛くてね」というゆきわりそう本部の事務所には、参加者のカラー写真が大きな紙に貼られてあった。帰国を延長した学生も4人いるとか。

 誠信女子大2年生の盧緑美さんは、「障害者は不幸だ、弱者だと思っていたが、私たちと同じように人生を楽しむし、仕事もしている。同じ人間だなあと思った」と話す。

 冒頭に紹介した崔垠静さんは「自分の後ろ姿は見ることができないでしょ?障害者は自分の後ろ姿だと思った。障害者の問題は彼らだけの問題、少数者の問題ではなく、いろいろな人とつながっていることだと実感した」と話してくれた。


  とだ・ゆきこ  国立音楽大学声楽科卒業。元二期会合唱団団員。1984年度韓国政府招請留学生として漢陽音楽大学で韓国歌曲を研究。現在、BELMONDエージェンシー・ディレクター。著書に『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』(梨の木社)。