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2002/02/22

<韓国文化>書評

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神風がわく韓国  吉川良三著

 本書は日本人ビジネスマンによる一級の韓日文化・社会比較論といってもいい。旅行者はもとより長期滞在者も韓国を内から見ることはなかなかできない。

 著者の吉川良三氏は韓国ナンバーワン企業のサムスン電子に技術指導者として招かれ、7年間にわたり韓国人社員と仕事をともにした。いわば内側から韓国企業、韓国人を知る機会を得、その体験をもとに韓国、韓国人の何たるかを導き出している。ここに類書と決定的な違いがあり、深みがある。

 著者も最初の2年間は、韓国人社員の仕事ぶりや言動に馴染めず悩んだ。ひとりアパートのベランダで夜空の星をながめ、荷物をまとめ帰りかけたことも何度もあった。これは何とかしなればならない。そんな時、親しくしていた専務から「吉川さん、叱ってばかりではダメだよ、韓国人はほめないといけない」と言われた。

 大きなヒントだった。日本流でやっているのが間違いではないかと気付いた。さっそく、最初はほめて後で注意する方式をとると、以前とは明らかに反応が違ってきた。
日本が「叱る文化」とすれば韓国は「ほめる文化」である。このことを知った上でトコトン韓国のやり方でやる。

 これがスタート台になり、韓国人の本質を探るため歴史をさかのぼって文化研究にも取り組む。その成果も本書にもられている。
異文化の人たちがお互いの文化を完全に理解することは難しいが、韓日間ではお互いの文化の違いすら知らないことが多い。

 著者は「知識としては知ることができる」のであり、「日本人としては技術が優れているからとかいう優越感や驕りを捨てて、積極的に韓国の文化を知り交流を求めていく努力が大切だ」と訴えている。韓日国民交流年の今年、隣人として読んでおきたい本だ。(白日社 46判、250㌻ 1500円)。


やるっきゃない  金希宣著

 2000年4月、国会議員に初当選した著者・金希宣さん(59)の民主化闘争奮戦記である。「やるっきゃない」のタイトルそのままに、まず行動ありきのアジュマ(おばさん)であり、なんとも凄まじいバイタリティに溢れている。読者に元気を与えてくれること間違いない本だろう。

 1943年に中国の瀋陽で生まれた彼女は、産声をあげたその瞬間から抗日独立運動の息吹の中にあった。父やその一族は旧満州で独立を求めて闘い獄舎につながれていた。幼少時代は孤独だったが、社会の底辺の人たちの生活をつぶさに見てきただけに、正義感は人一倍強く育った。

 社会運動のかかわりは、結婚直後の地域住民運動からスタート。83年に駆け込み寺としての「女性の電話」を設立した。KBS視聴料金の横領を告発したため嫌がらせを受けたKBSの女性社員を助け、勝利をおさめることで一躍有名になった。また、女性25歳定年制を採用している会社を相手取って、その差別的制度を廃止させるなど活動領域を広げていった。

 このような女性問題のかかわりを通じて社会不正義が多いことを痛感、民主化運動、統一運動へと突き進んでいく。その過程で23回の留置所生活、2回の拘置所生活、指名手配を受け3年8カ月に及ぶ逃亡生活を繰り返しながらも、負けることはなかった。内心は恐怖心もあったが、笑顔を絶やさず、あっけらかんとした天性の楽天家だった。

 率直な語り口で、社会の矛盾に挑んできた金希宣さんの生き様がつづられている本書は、多くの日本女性にも必ず刺激的な一冊になるだろう。訳者は梁東準氏。(晩聲社 46判、222㌻ 1800円)。


近代文学の<朝鮮>体験  南富鎮著

 韓国が日本の植民地支配下にあった時代に韓国人と日本人によって書かれた文学とはいったいどのようなものであっただろうか。

 これまでこれらの作品に対する評価の多くは、残念ながら国策や親日といった政治的観念が障害となって正当なものだったとは言い難い。そこでこうした政治的観念の呪縛を解いて、作品の底辺に流れる作家の個人的な価値観、思想に焦点を当てようとしたのが本書である。

 登場人物の葛藤や苦悩、感動などさまざまな内面の世界を浮き彫りにすることで、当時の韓国人と日本人が通過した心情世界をより正確に知ることは、作家たちの復権につながるだけでなく、韓日両国が本当の意味で未来志向の交流をするための前提にもなるのではないだろうか。

 韓国人と日本人の恋愛・結婚、いわゆる「内鮮恋愛・内鮮結婚」をテーマにした作品のなかには、例えば李人植の『貧鮮郎の日美人』では、貧しい韓国人男性と結婚した日本婦人のなげきが表現されている。芥川賞を受賞した金史良の『光の中へ』では、日本で南(みなみ)と呼ばれる「私」が南(みなみ)から南(ナン)に回帰していく話と、韓日混血児の山田少年が韓国人である母に対する愛情を回復していく。

 本書は、植民地支配を正当化するための手段の一つとして奨励された内鮮結婚や韓国人に日本名を強要した創氏改名を取り扱った作品など、当時の作品が「朝鮮なるもの」をめぐって揺れ動く韓国人と日本人の内面世界を映し出していたことを再確認させることで、政治的問題を離れ、どのように<朝鮮>を描くかという文学的命題の重要性を強調する。(勉誠出版、四六判、304ページ、2800円)