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2002/01/11

<韓国文化>金興洙・平山郁夫 二人展

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            金興洙 「僧舞図」 1978年

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              平山郁夫「バーミヤンの大石仏」1968年

 韓国美術界の巨匠、金興洙氏と日本画壇の巨匠、平山郁夫氏による「日本・韓国文化交流金興洙・平山郁夫 二人展」(東京芸術大学、駐日韓国大使館韓国文化院など主催)が、ふたりの母校である東京芸術大学大学美術館で開催中だ。金氏の作品25点、平山氏の作
品48点が展示されている。また同展と並行して金氏の日本での初の個展も、銀座のギャラリー美術世界で開かれている。

 金興洙氏は、海外ではキムス-で知られている。金氏が生まれたとき、祖国は日帝の植民地支配下にあった。その悔しさが、「いつか世界的な人物になってやる」という向上心の原動力になった.。

 1940年に東京美術学校(現東京藝術大学)にトップ入学を果たすものの、卒業証書と引き換えに学徒出陣を要求され、卒業を目前に帰国の途につく。

 後に学部長となった平山郁夫氏が88年、卒業証書を金氏に手渡すことになる。

 50年に韓国戦争が起こり、金氏は故郷への道を断たれた。55年に渡仏。

 「同じ油絵の具なのに、なぜ彼等(西洋人)のような色を出せないのだろうか。」

 自らにそう問い掛けて絵を描いた。59年の個展では出品作を完売しベストセラー作家に。61年に韓国に帰国。67年に米国のムーア美術大学に教授として招かれる。

 77年8月、ワシントンのI・M・F美術館において、抽象と具象の画面が調和する陰陽調型(ハーモニズム)絵画による個展を開催。ハーモニズム宣言を行った。

 「長い年月を経て母校の美術館で展覧会を開くことが出来るのは、とてもうれしい。

 日本のみなさんにこの展覧会を通じて訴えたいことがある。20世紀、東洋の画家は東洋を忘れて西洋を学んできた。それがゆえに、いま末期症状を起こしているのではないだろうか。

 東洋精神、東洋文化を学びなおさないといけない。西洋文化植民地になってはいけない。東洋の美しさを描き直し、東洋文化をを西洋に広める時代を作り出してほしい。

 私は現在、韓国で『幼少年美術英才教室』を開設し、才能ある子ども達を発掘する教育事業に取り組んでいる。

 韓民族は精神性豊かな文化的な民族だ。在日の方々もその一員であるという自負を持って生きてほしい。ぜひ展覧会を見にきてもらいたい」


平山郁夫 芸術交流に期待

 「サッカーの2002年ワールドカップ共催をはじめ金大中・韓国大統領の太陽政策により日韓友好親善の波が広がっている。日本の古代史は中国文化や高句麗・百済文化の影響を受けていたことがよくわかる。

 私は数年前からユネスコ親善大使として、朝鮮民主主義人民共和国の高句麗古墳壁画郡をユネスコ世界遺産に登録することを提唱している。

 今後は20世紀の不幸な一時期を教訓として生かし、それぞれの文化の特質を理解しながら交流すれば、新しい日韓の歴史が生まれてくると確信している。本展を契機に若い世代の芸術交流を期待したい」