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2003/11/14

<韓国文化>いまも変わらぬ韓国人の情

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    ふじい・のりこ  1942年東京都出身。1992年、第5回短歌現代新人賞次席。1994年、短歌新聞社賞受賞。第15回全日本短歌大会選者賞受賞。日本歌人クラブ会員。著書に歌集『無窮花植ゑむ』などがある。

 在日韓国人の夫との生活、韓国の風景などを短歌に表現してきたのが、日本歌人クラブ会員の藤井徳子さんだ。8年前に「藤井徳子歌集 無窮花植ゑむ」(短歌新聞社)を出版、最近は在日の「時調(3行詩)の会」とも交流を深めている。藤井さんに話を聞いた。

 夫と知り合ったとき、在日韓国人1世とは知らなかった。しかし、韓国人の情の深さに触れ、結婚を決めた。そのとき私は22歳、夫は43歳だった。在日1世の苦労話をよく聞くが全くそれと同じ道を夫は歩いてきた。

 私は毎年、韓国のしきたりに則って両親の法事を行ってきた。韓国の手厚い死者の葬り方は儒教の精神を見た思いがしてこれが人間の原点かと、すごく感動した。

 夫はがんで亡くなったが、夫のお陰で私は在日に関心を持ち、韓国人の人となりや日本人にない儒教の精神を学んだ。

 歌を本格的に勉強し始めたのは75年から。日本の短歌結社は現在約900あり、私の所属している”コスモス短歌会”は日本で2番目の大きさで、3500人ほどが所属している。短歌の魅力は1+1の答えが2にならないところ。悲しいときに赤い花を見ても決して赤くはない。自分の心の痛みや様々なものが出るのが短歌だ。

 8年前に歌集を出すにあたって韓国語のルビを振る必要があり、小金井にあった民団武蔵野支部を訪れた。そのお付き合いで河正雄先生(在日韓国人文化芸術協会直前会長)と知り合い、そこから在日の〝時調の会〟との付き合いを持った。そして埼玉県日高市にある巾着田や聖天院、高麗神社を訪れ、韓国から渡日した高麗王若光のルーツを教えて頂いた。

 (強制連行などで犠牲になった)在日の無縁仏を供養する慰霊塔の記念式典に呼ばれて、その後、河先生の提案を受けて、韓日合同で献歌祭を行うことになった。昨年は初めてということで16首、14人の参加だったが、今回は39人の方に賛同頂いて、歌も39首になった。

 高麗王若光の生き様を実際に見てはいないわけだが、巾着田などを見ながら、どういう思いでここを耕したのだろうか、高麗川の水に遠い日を思い、川辺に何度も佇んだこともあった。慰霊碑を前にして、日本人として過去を素直にわびる心と、今後の平和を願う心で一杯になった。

 これまで何十回と韓国へ行った。6年前には歌の仲間と行ったが、みんなが驚いたのは、情が濃いところだ。私が33年前に行ったときと全然人情が変わっていない。私が儒教の精神でいいと思うのはそういう情の部分だ。日本の古典落語にも儒教の精神が生かされている。落語には必ず長屋が出てくる。長屋には大家がいて、店子に縦の社会、横の社会を教えてくれる。古典落語の中には学ぶことが沢山あって私も落語を2回聞いてその虜になった。

 日韓交流を考えるとき、在日の人とどのように手を取り合って生きていくべきか、その視点がないといけない。私が所属する会にも在日の方との交流を望む人も多く、今後、時調の会の人との交流も深めたい。短歌と三行詩という歌を通して、韓国、日本、在日の人々が共栄共存していければと願っている。