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2003/09/19

<韓国文化>高麗王若光の足跡たどる

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    天智年間に来日した渡来人、高麗王若光を祭神とする高麗神社

 韓半島と深いかかわりを持ち、高麗神社、聖天院(しょうでんいん)など”高麗の郷”のある埼玉県日高市が、その韓半島由来の文化財と、友好都市を結んでいる烏山(オサン)市の紹介をする展示会「友好都市烏山展-渡来人の里 日高の文化財」が、21日から25日まで、日高市総合福祉センター「高麗の郷」で開かれる。日高市に根付いた渡来人の歴史がわかる貴重な展示会となっている。

 日高市を流れる高麗川を見下ろす丘の上に、聖天院勝楽寺の伽藍と高麗神社は並び立っている。高麗神社と聖天院は、奈良時代の霊亀2年(716年)に、武蔵国に点在していた1799人の高麗人を集めて同地に高麗郡を設置した高麗王(こまのこしき)若光に由来している。

 若光は天智5年(666年)、飛鳥の宮廷への高麗からの使者の1人として日本に渡ってきたが、同7年(668年)、唐・新羅の連合軍により高麗が滅亡し、亡命者が多く日本に渡ってくる状況になると、帰国をあきらめ日本に住むことを決意した。

 その後、高麗王族のひとりとして王姓をあたえられ、朝廷の命を受けて高麗郡を設置し、郡長として当時荒地であった同地を、仲間とともに開拓したのである。

 若光が730年に没すると、高麗郡民が徳をしのんで霊を祀り、高麗大明神として祀ったのが高麗神社の創祀である。

 祭神である高麗若光の子孫は、代々当社の宮司をつとめていた。聖天院は、若光の念持仏であった大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の尊像を本尊として天平勝宝3年(751年)、若光とともに渡来した僧の勝楽が、若光の菩提寺として創建したと伝えられている。

 今回の展示内容としては、発掘調査で出土した奈良・平安時代の遺物のほか、韓半島資料として広開土王碑拓本(こうかいどおうひたくほん)、中原高句麗碑拓本(ちゅうげんこうくりひたくほん)、それに埼玉県指定文化財の応仁の鰐口(わにぐち)(聖天院所蔵)、国選定重要美術品の鍍銀鳩榊彫文長覆輪太刀(とぎんはとさかきほりもんながふくりんたち)(高麗神社所蔵)などの所蔵品が展示される。

 一方、日高市と友好都市を結んでいる烏山市については、歴史、民俗、産業など各分野の写真パネルが展示される。

 烏山市はソウル市から南に56㌔、京畿道の南西部にある都市で、ソウルのベッドタウンとして発展してきた。歴史的には高句麗の地であり、高麗人参の加工地として知られている。

 96年10月1日に日高市と友好都市締結調印を行い、その後交流事業を続けながら今日に至っている。2001年9月には新市庁舎が完成し、電子部品、化学、機械などの工業都市としても発展を続けている。今回の写真展示で、その急成長ぶりがうかがえる。


◆ 渡来人の里 日高の文化財展 ◆

   期 間 : 21日~25日
   時 間 : 午前9時30分~午後4時30分
   会 場 : 日高市総合福祉センター
         (JR高麗川駅から徒歩15分) 
   主 催 : 日高市・日高市教育委員会
   TEL : 0429・89・2111