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2003/07/25

<韓国文化> 「社会が私の大学」

  • 河 正雄さん

 埼玉県川口市在住の在日2世の実業家、河正雄さんが、韓国の朝鮮大学から美術学博士の学位を授与された。光州市立美術館へのコレクション寄贈など、韓国と在日社会の美術界発展に貢献した業績を高く評価されたものだ。河さんに、この間の活動と授与の喜びについて寄稿してもらった。

 私は家庭(経済)の事情で大学に進学出来ませんでした。母は84歳の高齢になるが今も時おり、「正雄、お前を大学に入れてやれなかったことが申し訳ない」と涙を浮かべて言います。

 秋田で過ごした小中学時代、50人の同級生がいたが高校進学できた者は10数人ほどしかいない貧しく苦しい時代でありました。小学校の門をくぐったこともなく、日雇い労働者として働きながら私や妹弟を高校まで進学させた父母は、子等には大学教育を受けさせることが夢であったのです。

 私は大学を断念し社会に出たその時から、社会から学び、生きながら学ぶことが「大学」であると考えました。卒業証書は死ぬ日に貰える物と思っていましたから、母の涙は時に負担に感じもしました。

 どうして君は大学に入れなかったのかと蔑まれたこともあったが、それは時代を知らない人が言うことです。親の苦しい時代を共に生きてきた者としては、何の不満もなかったというのが私の本音であります。

 昨年、「蛋白質の正体を探る質量解析法を開発した業績」でノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんに憧れる人は多いようです。高卒で弁護士になり大統領にまでなった盧武鉉氏、そしてサラリーマン研究者でありながらノーベル賞を受賞した田中耕一さんのような存在は、学び生きる者にとって、努力次第で希望は果たせるということを改めて知り、人生を勇気づけるものになったはずです。

 2003年2月24日、57年の歴史を持つ韓国光州市の朝鮮大学校を訪問しました。金泳鎮韓国国会議員の名誉博士学位の授与式があるというので出席しました。歴史教科諸問題に抗議して日本の国会議事堂前でハンガーストライキをした金議員とは、3年前東京で光州のキムチ祭開催計画をした折にお会いし、講演を聞いたことが縁になっています。彼はこの度、盧武鉉政権の農林水産部長官となった人です。