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2005/07/01

<韓国文化>韓国映画の展開に同士的共感

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    かわむら・みなと 文芸評論家、法政大学国際文化学部。1951年北海道網走市生まれ。法政大学卒。韓国・東亜大学を経て母校で教鞭をとる。『南洋樺太の日本文学』で平林たい子賞、『アジアという鏡』など著書多数。現在、野間文芸新人賞などの選考委員。

 文藝評論家の川村湊氏が新著「アリラン坂のシネマ通り 韓国映画史を歩く」を出した。韓国映画の現代史についてまとめた力作だ。川村湊さんに自著について文章を寄せてもらった。

 20年前に、韓国映画のノートをつけていた。映画を観るたび、題名や監督、主演俳優などのデーターと粗筋、感想などを短く書いたノートを作っていた。150本ぐらいで中断したのは、あまり韓国映画を観る機会がなくなったためだ。それを20年ぶりで復活させたのは、大学の長期研究休暇を貰い、2003~04年とソウルで滞在したからだ。20年前には日本語教師として釜山に4年間住んだ。それ以来の韓国の長期滞在なのだった。

 暇にあかせて映画を観にゆく。あるいはビデオ店でビデオやDVDを借りる。私の韓国映画ノートは、90年代をすっぽり抜かして、80年代と2000年代とがつながった。

 しかし、70~80年代の韓国映画を支えた李長鎬やぺ・ヨンホ監督は、映画製作の現場を離れるか、離れないまでも昔に較べたらその創作の勢いは衰えていた。だが、当時の彼らを上回るほどのヌーベル・バーグが、韓国映画の世界には押し寄せていた。いわゆる〝韓流〟ブームである。

 日本ではTVドラマ『冬のソナタ』が〝韓流〟ブームの原点とされているが、映画では98年公開の『八月のクリスマス』、99年の『シュリ』、2000年の『JSA』、01年の『猟奇的な彼女』と、日本でもヒットした作品が目白押しだった。これらの大ヒット作の裏に、洪尚秀監督の『豚が井戸に落ちた日』や、金基徳監督の『魚と寝る女』、李滄東監督の『ペパーミント・キャンディ』、金知雲監督の『反則王』、金辰想監督の『ヤクザ修行』など、一部ファンに熱狂的に支持された韓国映画も少なくなかった。

 それらの新しい映画と、見逃していた70~90年代の映画のビデオ、VCD、DVDを捜して観て、私のノートはそれなりに充実していった。それが300本を越えた頃から韓国映画の本を一冊、まとめてみようと思うようになった。

 同じ韓国映画でも、昔の〝国産映画(邦画)〟と今の〝韓流映画〟との違いはどこだろうか。資金や技術や人材を挙げることは簡単だろう。だが、それより何より、私が感じているのは、自分たちの映画についての自信であり、面白いものは面白いという当たり前の映画の感覚だ。20年前にあったのは、卑屈なナショナリズムだったが、今あるのは開かれたナショナリズムだ。

 私の映画ノートには、屈折した韓国式(北朝鮮ならウリ式)ナショナリズムが、逆に〝国産映画〟を萎縮させているではないかという疑問が書かれている。もちろん、制度的な検閲や製作者の自粛も強かったのだけれども。

 このたび、その映画ノートを基にした『アリラン坂のシネマ通り』(集英社)を出すことができたのは、ひとえにヨン様とジウ姫のお蔭だと思っている。〝韓流〟ブームに〝便乗した〟とやゆされたり、そしられたりしても、私はいっこうに平気だ。何事にも〝時世時節〟はあるものであって、本を出すということはまさに時代や時流のタイミングが必要なのだ。〝国産映画〟から〝韓流映画〟への展開は、必ずしも平坦にものではなく、私はそうした韓国映画の展開に同志的な共感を抱いているのだから。

 古い映画ノートを開いてみた。『風吹く良き日』のことが最初に書いてある。この映画を観て、韓国映画について何か書いてみたいと始めて思った、私にとっては記念的な作品だ。『馬鹿たちの行進』『暗闇の子供たち』などについて、最初の頃のノートには、熱心に書いていた。それは、韓国社会の自己表現がどんな形であるかをフィールド・ワークするようなものだった。社会の現状と人々の現実が、それらの映画にはくっきりと描かれていたからである、やや感傷過多であったとしても。

 最新のノートは、この6月にソウルの封切館で観てきた、チャ・スンウォン主演の『血の涙』と、ソン・ガンホ主演の『南極日記』だ。両者とも私のヒイキの俳優だが、映画としては今ひとつだった。映画の技術や技法、演技や演出は高度なものとなったが、映画そのものにかける情熱はどうだろうか。

 こんな大がかりな昔の製紙工場のセットや、氷雪原のロケなど、昔はとても実現できなかっただろうなと感歎しながら、そのドライな人間関係の割り切り方に、ちょっと違和感を感じて、約20年前の釜山の南浦洞の古びた劇場で観た映画たちのことを、懐かしく思い出したのである。