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2006/02/10

<韓国文化>「白磁の人」読書感想文コンクール・韓国への愛に学ぶ

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    韓国と韓国人を愛した浅川巧

 日本民芸運動の先駆者で朝鮮工芸の保存に力を尽くした浅川巧について書かれた江宮隆之著「白磁の人」の読書感想文コンクール(『白磁の人』映画制作委員会主催)が、このほど山梨県内で開催された。最優秀受賞者の文章を紹介する。

◆生徒の部最優秀賞◆

「和解と許しの人」 李叡思(イ・イエウン/南春川女子中学2年生)

 浅川巧はバジ・チョゴリを着て、韓国語を話し、韓国の白磁に関心を持って、韓国を愛した日本人だ。『白磁の国に生きる』を読み始めた時の碕浅川巧鷺という不慣れな名前は、本を読み終えた時にはすっかり親しみのある名前になって、温かささえも感じた。

 彼の韓国愛は並外れたものだった。韓国に対する愛は彼の兄・伯教から始まったと思う。兄が韓国から巧宛ての手紙に、“不思議にも温かさが染付いている韓国の陶磁器”、“これを見ていると巧に会いたくなるのはどういうわけかな”と書かれている。伯教が言うその陶磁器はどういうものだったのか?

 家族のいる韓国に渡った巧はその陶磁器がどういうものなのかを兄に尋ねた。しかし、兄は教えなかった。巧は自分なりの方法で白磁の純粋さと温厚さなどに気づいていった。陶磁器が人格をもっているのではないかと思うほど、その温かさに惹かれていった。巧の白磁への関心が、韓国を愛するきっかけになったと思う。

 この本は白磁が持っている“真”の外・内面的な美しさを味わわせてくれた。白磁が我々のものであるにもかかわらず、私は巧より白磁を愛することもなく、関心も持たなかったことを恥ずかしく思った。

 巧が林業試験場の韓国人同僚・チョンリンに韓国語を教わった時は嬉しかった。巧が韓国語を話すのを見て、彼の韓国に対する愛情と強い意志を見習いたいと思った。

 巧は日本の軍人に韓国人の見方をすることで苦しめられたが、それに屈することなく“真”のクリスチャンとしてすべてに耐えた。もし私ならとても辛くてできなかったと思う。巧は本当に韓国のことを愛したので耐えることができた。そして、日本人に苦しめられる韓国人を一層温かく守ってくれた。当時の韓国人は、このような巧の真心を知って、彼のことを信頼し、愛したと思う。

 私はずっと日本のことを近くて遠い国だと思っていた。日本の数多い侵略と横暴、植民地支配の36年間の弾圧に対して恥と憤りがあった。しかし、この本を読みながら、今までの考えが変った。長い間の深い感情をすぐ変えることは難しいと思うが、“憤りと憎しみ”を“和解と許し”に変える努力をしなければならない。これこそイエス・キリストが求める方法だろう。そして、巧の白磁愛、韓国愛の精神だろう。

 我々の白磁と日本の弾圧下にいた韓国人を愛した日本人、浅川巧。彼の真心が韓国と日本の和解と許しのきっかけとなって、私たちの胸に消えない永遠の灯となることを願う。


◆一般の部最優秀賞◆

「献身的な生涯知る」 金大原(キム・デウォン/成均館大大学院生)

 インドネシアのSawi部族は裏切りを美徳として尊重している。彼らにはイエス・キリストを裏切ったユダが英雄となっている。このSawi部族は敵と平和条約を結ぶ方法として、敵に自分の子供を育てさせる。その子供が“Peace Child”だ。部族間の紛争の度に、この子供を前に出して平和を維持させる。

 まさに、浅川巧は韓国と日本の“Peace Child”だ。小説「白磁の人」(韓国語版『白磁の国に生きる』※1)を読む前は韓国と日本の間には絶対平和は存在しないと思っていた。私は韓国人として日本への憤りを美徳だと思っていたが、巧先生のことを知って、その考え方を変えることができた。

 巧先生の愛は感情だけでなく、実践するものである。特に、韓国に対する愛は韓国語と文化を習って、韓国人になろうとした。それはまるでイエス・キリストが人間を愛し、神でありながら人間の体を持った“Incarnation”(※2)に似ている。巧先生は韓国を愛するために韓国に暮らしながら、韓国人になることを決心した。山梨の自分の故郷があるにもかかわらず、奥さんが亡くなった韓国でずっと生きたことは韓国に対する愛の実践であり、愛の具体化だ。

 日本の軍人に弾圧された時に碕私は韓国人ではなく日本人だ鷺と言えば、楽に解決できるものの、彼は黙って弾圧を受けた。韓国人の苦痛を自ら体験したのだ。神の息子でありながら、辛い苦痛を受けても限りない愛を持って歩み続けたイエス・キリスト、そのイエス・キリストの愛を巧先生は実践したのだ。自分のルートが高麗人だと思って、“高麗人の血が故郷の韓国へと私を呼んでいる”と告白したことはとても謙遜に思える。

 日本人のルートが高麗人だということは当時、日本人にとって非常に屈辱だったと思う。さらに、高麗人のルートが日本だと言っても受け入れられただろう。だからこそ巧先生の告白には韓国に対する愛の深さが現れている。

 韓国に来てから巧先生の苦難の人生が始まった。彼にとって“故郷”とは何だったのか?故郷・韓国は彼に白磁の美しさを与えたが、その暮らしは弾圧と苦痛の連続だった。彼にとって故郷・韓国とは、その苦難を受けても自分の生涯と代えることのできない無条件的な愛の対象だった。

 私は“PeaceChild”として生きた巧先生の生涯を通して、単に日本に対する冷笑的な感情を溶かすことに満足しない。彼の献身的な生涯は、韓国人と日本の関係の回復のみに限定してはならない。自分の家族、友だち、学校、職場などの周囲との関係の回復に広げなければならない。これからは自分自身が浅川巧となって、“PeaceChild”となって、愛を実践しなければならない。

※1『白磁の人』ハングル版の書名
※2神が人間の姿で現れること。