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2006/08/11

<韓国文化>韓国の国宝に酷似

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    韓国国宝78号(高さ80・3㌢)の金剛半跏思惟像(右)と新発見の金剛半跏思惟像(高さ8・5㌢)

 韓国の世界的に有名な2体の大型金銅半跏思惟(はんかしい)-そのひとつである国宝78号(高さ80・3㌢、6-7世紀初)に、造形形態が酷似している朝鮮三国時代の金剛仏(高さ8・5㌢)が、このほど東京在住の韓国人美術愛好家H氏(66)宅で発見された。細部にいたるまで形制上の共通性が認められるところから、両像の密接な関係は否定できず、国宝78号の製作上のひとつのモデルになった可能性がある。今回発見された金銅仏の歴史的な意義について、美術史研究家の韓永大氏に話を伺った。

◆新発見の金剛半跏思惟像 その歴史的意義を探る 韓 永大(美術史研究家)・上

 半跏思惟像とは、足を組んだ状態で台座(榻座/とうざ)に腰掛け、指を軽く頬にあてて思索している姿の仏像で、日本でも広隆寺や中宮寺の木造仏でよく知られている。

 この半跏思惟像はガンダーラ地方の菩薩像に源を発し、中央アジアを経て中国に伝えられた。北魏時代(386-534)の雲岡石窟には、太和16年(492)銘の「太子思惟像」がある。

 やがて6世紀に、朝鮮三国(高句麗、百済、新羅)にも伝えられ、弥勒信仰(みろくしんこう・56億7000万年後に、仏となってこの世に現れ、人々を救済するという未来仏思想)とともに、6-7世紀にかけて朝鮮三国で多数造られた。

 朝鮮三国時代の金銅仏はその大半が立像で、ユニークな形のこの半跏思惟像の数は大変少ない。現在、韓国国内で所在が判明しているのは20例足らずで、うち2例が大型である。このほか、数例が行方不明で、日本には5例の三国時代の朝鮮金銅仏がある。

 中でもとりわけ有名なのが、韓国の2体の大型金銅仏で、これだけの大型のものは中国にもなく、貴重な世界的遺産である。

 その1体は旧徳寿宮美術館像(高さ93・5㌢、7世紀初、国宝83号)で、京都・広隆寺のアカマツの木造仏とよく似ていることでも知られている。

 そしてもう1体は、旧総督府博物館にあり、のち韓国国立博物館所蔵(高さ80・3㌢、6-7世紀初、国宝78号、以下「国78像」)の金銅仏である(両像とも、現在韓国国立中央博物館蔵)。

 前者がほとんど装飾を排した「自然美・写実美」であるのに対し、後者は「抽象美・観念美」として対比される。

 後者の「国78像」は、宝冠や身体に装飾性が目立つが、この形がインド仏教の本義に忠実な古様の姿とされる。

 本像(「新例」)は、約20年ほど前、H氏が東京都内で日本人美術商より入手したもので、店構えの古美術店でなく、展示即売会で購入したものである。その際、この美術商からは具体的出所、来歴についての説明はなかったという。

 H氏はかつて広隆寺や中宮寺を訪れ、木造半跏思惟像に接していた経緯があった。

 「新例」(8・5㌢)は銅造鍍金の小金銅仏で、推定6世紀末-7世紀初のものと考えられる。

 腹前部、台座前部や両側面などに緑銹を生じているが、表面積の85%はなお鍍金の輝きを失わない。宝冠の上半分は久しく欠失した状態だが、それ以外には目立った損傷はない。火中、土中の痕跡は認められず、伝世品であったと考えられ、総じて保存状態は良い。内部は首部までが空洞で蝋型(ろうがた)による鋳造品と思われ、細部まで精巧な造りから高度の鋳造技術が窺われる。

 「新例」は宝冠部から台座下端まで「国78像」と造形形制をほとんど同じくしているとこらから、両者間の密接な関係は明らかで、「新例」の持つ古代彫刻史上の歴史的価値は大きい。