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2007/11/16

<韓国文化>韓国型権威主義の歩みをたどる

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    たむら・としゆき 1941年京都生まれ。一橋大学経済学部卒。同大学院博士課程修了後、立正大学、東京経済大学、東京都立大学を経て、2000年より二松学舎大学国際政治経済学部教授

 田村紀之・二松学舎大学教授の新著『韓国経験の政治経済学―ポスト権威主義の課題』(青山社、403㌻、B5判、4762円)が出版された。本紙の同名連載(99~2000年)をベースに、韓国の半世紀を詳細に解剖した、経済の枠を超えた本格的な韓国論である。

 田村紀之・二松学舎大学教授の新著『韓国経験の政治経済学-ポスト権威主義の課題』(青山社)がようやく上梓の運びとなった。ようやくというのは、この書が、1999年から2000年にかけて、58回にわたって本紙に連載された同名の論稿を基礎にしているからだ。

 連載当時から単行本としての刊行を望む声が高かったが、その後の研究成果を織り込むのに時間を要したのだろう。著者自身が序文でもいうように、「遅ればせの韓国論」となったわけである。B5版400㌻の重量感あふれる大著として再現した。

 本書は、著者が約30年にわたって観察してきた韓国の歩みを、独自の構想のもとにまとめあげたもの。従来の韓国イメージを一新する企画といえる。著者はまず、韓国が他のアジアNIESや東アジア諸経済と同列には論じきれない特異性をもっていることを論証し、韓国や台湾についての個別的な研究の必要性を強調する(第1章)。つぎに、旧植民地の経済発展を支配者側の「恩恵」に帰す議論を排し、植民地支配の多面的な遺産を活用しえた諸国民の力量をこそ評価すべきだ、と主張する(第2章)。

 本書の基本的な視点は、権威主義国家の二重性である。著者はこの二重性を前提としたうえで、両者を接合する装置としてのコーポラティズム(官民協調機構)を想定することによって、韓台それぞれの特徴を抽出する。しかも著者は、開発体制成立以前の時期(開発前史)における韓台の歴史的背景を、政経両面から丹念にたどる(第3、4章)。

 つぎに第5章と第6章では、二重国家の確立(制度化)時期が検討される。韓国は、制度化過程で幾度も民主化の契機をもったが、それがことごとく水泡に帰して、朴正熙維新体制という権威体制という権威主義の典型期を迎える。

 第7章では、この体制を支えた政治エリートの形成過程と政党の大衆的基盤を論じる。さらに、政官財連合の実体と経済自由化過程を調べた第8章では、輸入代替策から輸出振興策へと戦略を転換したことに韓国の成功因を求めるこれまでの「通説」が否定される。

 著者は、韓国の工業化プロセスを「ハイエク過程」として描写する(第9章)。この過程で構築された開発体制が成功裡に推移すればするほど、社会経済的な多元化を推し進め、権威主義体制を溶解させて民主化への条件を整備することになる(第10章)。同時にこの過程は、財閥の債務依存を体質化させるとともに、早すぎる脱工業化(産業空洞化)を促進してしまう。そして、旧来の体質を温存したまま先進国入りを急いだ結果、韓国はIMF管理という事態に陥る(第11章)。

 著者の立場は、財閥系企業の乱脈経営の結果として生じた連鎖倒産の最中に、タイ発の危機が伝達したものであり、政策的迷走が事態を必要以上に悪化させた、というものである。矛盾したIMFの処方と、長期的な展望を欠いたままの金大中改革についても、厳しい見方をしている。そして最終章では、韓国にとっての緊急の課題として、政治的対立軸の「横断化」によって政治の安定を図ることと、南北対話の先にある「青写真」を提示すること、の2点をあげる。

 これまでの韓国ものには、事実の羅列や印象記、あるいは空疎なキーワード競争に終始しているものが少なくなかった。これに対し本書は、一貫した理論枠によって韓国の半世紀を詳細に解剖してみせる。その意味では、久々に登場した骨太で本格的な韓国論といえる。豊富な注と参考文献、充実した索引も有益である。(編集部)