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2007/09/21

<韓国文化>"ドキュメンタリーの韓流"今年も

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    『192-399 ある共同ハウスのお話』 監督 イ・ヒョンジョン

 「第10回山形国際ドキュメンタリー映画祭2007」(以下、山形映画祭)が、10月4日から11日まで、山形市で開催される。同映画祭では毎回、芯の強い韓国のドキュメンタリー作品群が人気を誇っている。また今年はビョン・ヨンジュ監督が審査員を務める。映画祭プロデューサーの若井真木子さんに文章を寄せてもらった。

 1989年に産声をあげた「アジアで初のドキュメンタリー映画祭」は、ふたを開けてみるとアジアからの作品がコンペティション部門になかった。急遽、山形映画祭期間中に小川紳介監督らを中心として「アジアの映画作家は発言する」というシンポジウムが開かれ、政治状況や資金難による映画製作の困難などといったアジアの状況を巡ってアジア各国の映像作家、批評家などが集まり、議論を交わした。

 そして映画祭2回目からは「アジアプログラム」(91年、93年)「アジア百花撩乱」(95年)「アジア千波万波」(97年-2007年)と名前やコーディネーターを変えながら作家たちと共に成長することとなった。

 初めてアジアプログラムが組まれた91年、オリンピック開催のために強制立ち退きを強いられる住民たちの闘いを描いた、キム・ドンウォン監督の『上渓洞オリンピック』やビョン・ヨンジュ監督が参加していた女性映画集団バリトが製作した、託児所を通じて働く女性たちの問題を描いた『私たちの子供たち』など、今では韓国を代表する両監督の作品が上映されたことは象徴的だ。

 ビデオで社会を変えられるかもしれないという気概、社会の変革をビデオで記録しようという歴史意識、運動と一体となって映像記録をしていくというアクティビズムが脈々と根付いているのだと、今回「アジア千波万波」で上映する韓国作品3本のみならず、韓国からの応募作品を見ていて感じる。

 韓国の金融危機を軸に資本主義に呑まれていく個人の現実を皮肉に描く『人はどうやって消されていくか』(監督イ・ガンヒョン)。映画の中で顔を出せないという社会状況を逆手に取り、10代のレズビアン3人がカメラというツールを使って、自らをさらけ出す『OUT ホモフォビアを叩きのめす!プロジェクト』(監督ウム〈フェミニスト・ビデオ・アクティビズム〉)。そして今ソウルで進む再開発のアパート群を占拠するというホームレスの面々の生活や思いをたんたんと追うことで、韓国社会の断片を見事に反射してみせた『192-399・ある共同ハウスのお話』(監督イ・ヒョンジョン)。

 アジアに散らばっている「今」が作家たちによって映像へと変換された「作品」20本が集まった「アジア千波万波」。韓国の他には、インド、中国、イラン、台湾、ネパール、日本、カタール、インドネシア、シンガポールの新進気鋭の作家たちの作品が上映される。

 「ドキュメンタリーの韓流」原点の一人とも言えるのは、1991年から1999年まで、毎回山形映画祭で作品が上映されてきたビョン・ヨンジュ監督。

 「アジア千波万波」審査員として山形に帰ってくる。元「従軍慰安婦」の女性たち一人一人の今の生活やディテールをカメラが捉えたドキュメンタリー『ナヌムの家』は、95年の山形映画祭でアジアプログラムの大賞である「小川紳介賞」を授賞した。その後『ナヌムの家II』、『息づかい』と3部作を完成させた。

 現在は劇映画を精力的に作り続けているが、ドキュメンタリー映画を作っていた時の方が良かったという声を聞く。彼女の場合はドキュメンタリー映画を賞賛していた人たちが、期待を裏切られたという感じを受けることが劇映画への評価に影響しているように思える。

 ドキュメンタリー映画というのは、時としてテーマ性が注目されすぎ、(彼女の場合は「慰安婦」)映画監督の作家性や、方法論、冒険が見過ごされがちだ。劇映画にもドキュメンタリーと変わらない、被写体(マイノリティー)に接するまなざしの暖かさや韓国社会を見据える鋭さ、輝きや絶望の瞬間を捉えて離さないカメラが向けられているのだから、もったいない。10月には都内でビョン監督の旧作が上映される。(山形映画祭プロデューサー 若井真木子)


■山形国際ドキュメンタリー映画祭■

日程:10月4~11日
会場:山形中央公民館、市民会館など
入場料:前売り1,000円、当日1,200円
       *各種回数券あり
東京℡03・5362・0672、山形℡023・666・4480