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2007/07/27

<韓国文化>小鹿島で出会った『祈りの言葉』

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    高貴煥「祈りの言葉(聖フランチェスコ)」2005 125.0×48.0㌢ 墨、和紙

 熊本市現代美術館開館5周年記念「アティテュード2007 人間の家 真に歓喜するもの」が、熊本の熊本市現代美術館で開かれている。韓国、日本、台湾のハンセン病療養所入所者の作品を展示し、人権について考える企画だ。同展に寄せた南嶌宏館長の文章を紹介する。

 私が熊本で美術館を作るために縁をいただいた2000年4月の初旬、何よりもまず案内してほしい場所として連れていっていただいた熊本市黒髪のリデル、ライト両女史記念館、これは明治22年、第五高等学校の英語教師として、併せて宣教師として、英国より神戸を経由して来熊し、加藤清正ゆかりの本妙寺の参道に、溢れんばかりに住まうハンセン病を患った人々を見て、その生涯をハンセン病患者救済、そしてハンセン病差別に対する人権闘争に捧げることになるハンナ・リデル女史、そしてその姪にあたるエダ・ハンナ・ライト女史を顕彰する小さな記念館なのだが、私はその記念館の納骨堂の十字架が折れて落ち、地中に埋まっていたのを見つけて掘り起こし、それを納骨堂の横に立て直すことになったのである。

 その後まもなく、いまでは私の熊本の母のような存在となった国立療養所菊池恵楓園に入所する遠藤邦江さんから、子を産むことを許されなかったハンセン病患者として、その永遠に生まれ来ぬ、わが子の身代わりとしての抱き人形である「太郎」の存在を知り、遠藤さんから美術館への2ヶ月間の「お泊り」を許していただいた「太郎」を、私は熊本市現代美術館の開館記念展「ATTITUDE2002」の中心に迎えることになった。

 2003年、公立美術館の自主企画として全国で初となる国立療養所入所者の絵画展を「光の絵画」と題して開催し、その光を世界に解き放とうとした。もちろん、そのときも「太郎」は私の腕に抱かれ、その開催をともに祝うことになった。そして、その作品を美術館のコレクションとして収蔵し、さらに「光の絵画」展は2005年にも引き続き開催されることになった。

 そして、私は台湾の楽生院、住所だけを手がかりに訪ねたその小さな療養所で、日本政府に捨てられ、台湾政府に捨てられ、そして、それぞれの家族にも捨てられ、その幾重にも故郷を喪失した張さんが、奪われた母国語の代わりに、日本語で「ふるさと」を歌ってくれたとき、私の中で「故郷」とは、それを奪われ、喪失した者のみが到達できる魂の祖国であることを突きつけられることになった。

 そして、私は今、ソウルから6時間、バスに揺られ、最後の巡礼地というべき韓国小鹿島(ソロクト)更生園に辿り着き、盲目のピアニスト、そして神の使徒、金新芽さんの小さな部屋にいて、いくつもの自身の作曲による讃美歌を生み出してきたそのピアノを奏でる金さんの指先の動きを見つめている。その指は変形し、自由には動かない。しかし、鍵盤がその不自由さをどこかで讃美し、その指先とのずれを補うかのように、その刹那の邂逅に神秘の音色が紡ぎ出される中、私はとうとうここに帰ってきたのだという歓喜に包まれることになった。

 金新芽さんは今年84歳。30代後半に失明してもなお、社会から疎外され、差別され、墓地に天幕を張り、金さんは世界の最後の隙間にその生きる場所を得ながら、神とともに生き、音楽によって仲間を励まし、そして自らの回復者村を築き、そして、ソロクトに身を移されても、神の光を信じ、その光に応える信仰の目をもって世界と人間を凝視し続けてきた人である。そして、その金さんがすばらしい書を書いていらっしゃる兄弟がおりますよと紹介してくださったのが、高貴煥さんであった。

 更生園の中の夫婦寮の一角。小さな2部屋からなる高さん夫妻の部屋に案内されると、そこには小さな手製の祭壇が設えられ、その上にキリスト像が安置され、彼らもまた深い信仰に生きてきた人間であったことを、私に直ちに理解させた。そして、その祭壇の左上の壁に、ハングル文字が音符の連なりのように配置された、楽譜のような書の作品が私を捉えたのである。これは何を書かれたものですか。そう尋ねると、高さんはそれが聖フランチェスコの「祈りの言葉」であることを、うれしそうに教えてくれたのだ。

 私はこの聖フランチェスコの「祈りの言葉」を認め、掲げる高さんの存在に、その途上にして、最終地点でもあるこのソロクトにおいて、私は言葉では表せない救済を得ることになった。つまり、この最後の場所で私を待ち受けていた言葉が意味するもの。それはこの7年半に及ぶ熊本を起点とする旅、その旅の日々に包括される全現象、何の縁もなかった熊本に赴き、若き学芸員を全国から募り、「太郎」と出会い、数々の展覧会を手作りで仕上げ、小さくとも「人間の家」としてのその土台作りに邁進してきた、敢えて言うならば、真実の美の信仰に生きてきたその日々が、最後に私を待っていてくれたその「祈りの言葉」によって全肯定された歓喜、ささやかな勝利として表すべき歓喜を、かつては死の島と恐れられた、この韓国南端の小さな島で手にすることになったからである。


  みなみしま・ひろし 1957年長野県生まれ。筑波大学卒。パリのカルティエ現代美術財団、女子美術大学講師などを経て、熊本市現代美術館館長。女子美術大学芸術学部芸術学科教授。美術評論家。


■アティテュード2007 人間の家■

日時:7月21日~10月14日
場所:熊本市現代美術館
料金:一般1,000円、高大生500円
℡096・278・7500