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2007/04/13

<韓国文化>隣国で感じたこと 率直に

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    敬和学園高等学校3年 本多 裕佳さん

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    特賞 「慶州ナザレ園」 細田学園高等学校3年 竹内 麻莉さん

 韓国修学旅行生の作文・写真を募集し、その優秀作品をまとめた『2006韓国修学旅行感想文・写真コンクール入賞作品集』(主催・韓国観光公社)が、このほど発行された。入選した作文と写真を紹介する。

◇特賞 おばあちゃんと私の願い 敬和学園高等学校3年 本多 裕佳さん(写真上)

 私は今年の夏に韓国スタディツアーに参加する機会を与えられ、韓国と日本の正しい歴史を学ぶために韓国に行きました。私から見た韓国はエネルギーが有り余っているような、とてもにぎやかな国でした。韓国に着いた時はまさか、これから自分たちが想像もつかないようなものを目にするとは思ってもいませんでした。

 私たちは景福宮や、独立記念館、ナヌムの家など大抵の日本人観光客は行かないようなところに行きました。日本では見ることの出来ない真実がそこには多くありました。

 自分の国を失ったことのない私たちには想像もつかないくらいの苦しみや、切なさがあったことでしょう。私は心を強く掴まれるような衝撃を受けました。独立運動家たちへのひどい拷問、光の全くない独房。当時の幼い日本軍慰安婦への性の強要。言葉、権利、自由、作物、土地、産業など多くを奪ったのは日本軍でした。私は、本当に何も知らなかったのだと気付きました。

 そんな中、大きな愛で私を迎えてくれたおばあちゃんがいます。その方は15歳の時に北から一人で逃げてきて、15歳という若さで職、家、食べ物などを全て自分でまかない、学校にも奨学金をもらって通ったそうです。そのおばあちゃんは日本が敗戦し、韓国が日本から独立した時から、「もう二度と日本の方を向かない、日本語を二度と話さない」と強く心に決めていました。しかし、日本人の一人の牧師先生のお話を聞いて考えを180度変えたそうです。今その方は「日本を恨むのではなく、日本を愛して愛して愛して、韓国と日本の本当の意味での友好を心から祈っている」と言っています。私は本当にこのおばあちゃんに救われました。話を聞いて思わず涙を流してしまった私に「あなたが泣くと私が悲しいから笑って」と、笑顔で強く抱きしめてくださったおばあちゃんは本当に暖かかったことを覚えています。そのとき私は、「韓国で学んだことを日本に帰ってみんなに伝える」という、私が韓国に来たことの意味を見つけました。

 日本に帰ってきて、私は日本から見た歴史問題がどのような視点から述べられているのかを調べました。教科書はもちろん本やインターネットでも、韓国で学んできたような事柄が述べられているものはわずかでした。加害者からの観点と被害者からの観点は異なっているものですが、それにしても日本では歴史問題の全てを知ることは出来ないと感じました。日本は「全て水に流して忘れてしまおう」、それに対して韓国は「許しこそすれ忘れるなかれ」と、文化の違いのために真実が伝わりにくいということもあるのかもしれません。また、政府と政府の間でもうすでに和解という形がとられてしまったということも、日本と韓国との本当の意味での和解を難しくしている理由のひとつではないかと思います。

 決して昔のことではないのだいうことをあらゆる人に感じてほしいと願います。そして、感じることと同時にあらゆる視点から歴史問題を見てくださることを期待します。韓国でしか見えない歴史があるのと同じく日本でしか見えない歴史も、もちろんあるのです。国の政府同士の本当の意味での友好は難しいかもしれません。ですが、韓国の市民と日本の市民との友好は不可能ではありません。

 私は、日本と韓国の本当の意味での友好を願わずにはいられません。

◇写真=特賞「慶州ナザレ園」 細田学園高等学校3年 竹内 麻莉さん(写真下)