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2007/02/23

<韓国文化>韓国民衆の闘い支えた日本人

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    死去6ヶ月前の1947年3月1日、在日朝鮮統一民主戦線主催の3・1革命記念大会で熱弁を振るう布施辰治

 日本による植民地統治下の韓国で、投獄や弁護士資格剥奪を受けながらも屈せず、独立運動家などの弁護活動に尽力した故布施辰治弁護士の生涯を描いた演劇『生くべくんば 死すべくんば-弁護士・布施辰治」(前進座)が、3月20日から25日まで、東京・吉祥寺の前進座劇場で上演される。同劇団制作担当の及川昭義さんに文章を寄せてもらった。

「日本 故布施辰治 上記の者は、韓国の自主独立と国家発展に資したところが大きいので、大韓民国憲法の規程に基づき、次の勲章を授与する。

建国勲章愛族章

2004年10月15日 大統領 盧武鉉」

 ご存知のように、この勲章は韓国の独立運動に寄与した人たちに与えられるもので、これまで日本人に与えられたことはありませんでした。布施辰治弁護士がその最初の人となった訳です。それでは、布施辰治とはどういう人だったのでしょうか。何をしたことによって「建国勲章」を授与されることになったのでしょうか。今、改めて、この希有な弁護士・布施辰治への関心、注目が集まり、研究も進められています。

 私たち劇団前進座も、2年程前に劇化することを決め、いよいよこの3月、上演にこぎ着けるところまで来ました。私たちが劇化したいと思い立った理由のひとつは、なんと言っても布施辰治という人物の途方もない大きさ、そして、人間的魅力ですが、大事な点はその時代であったと思わずにはいられません。

 辰治が司法官試補を辞して弁護士となったのは、明治36年(1903)で、日本が新興の帝国主義国として“日清戦争”“日露戦争”を起こした正にその時代でした。

 関東大震災のあった大正年間は、渡朝しては朝鮮独立運動の義烈団事件や全羅南道三面の土地闘争を弁護し、震災に乗じて荒れ狂った労働者活動家と在日朝鮮人への暴虐に対する抗議、そして擁護の闘いと休むことはありませんでした。そして、昭和に入り、侵略戦争の拡大と国内における治安維持法の猛威の中、人権と平和のために全身全霊を注ぎこんで民衆と隣人のために戦い続けたのでした。

 中でも朴烈・金子文子大逆事件に対する弁護活動は、こうした不幸な時代の中にあって、貴重な記録であり、今日の韓日の交流にとって大きな救いとなっていると思わずにいられません。

 一昨年1月、辰治の母校である明治大学法学部による「建国勲章」受章記念シンポジウムで報告に立たれた李文昌先生(国民文化研究所会長)は、その中で辰治の「自由を奪われた者は自由を奪い返す為、食物を奪われた者は食物を奪い返す為、戦わざるを得ない。これが真理であり、朝鮮問題である。(…略…)まさに、そのような問題の解決を目的とした社会運動を展開するため、私は朝鮮に来た」という言葉を引いて、朴烈・文子の闘いの例を中心とした「朝鮮民族との連帯」という発言を結ばれています。

 辰治の人権と平和、隣人の正義のための闘いのためのエピソードは、枚挙に暇がありませんのでこれ以上は割愛させていただきますが、私たちをして劇化に走らせたもう一つの理由があるのです。それは、私たち劇団前進座にとっても大恩人であるということです。

 辰治が治安維持法事件を弁護している最中、辰治への憎悪をつのらせていた検察、裁判官らによって、こともあろうに辰治自身が治安維持法違反容疑で逮捕し投獄されるという暴虐を受けるのですが、その後の保釈の間に創立して間もない私たちの劇団が、ご指導・ご援助をいただくのです。

 戦争をくぐり抜け、現在も劇団があるのは、まさに布施辰治先生のおかげと申して過言ではありません。

 今回、そうしたご縁もいただいて、トルストイに帰依し、嵐の中を“戦闘的人道主義者”として闘い抜かれた弁護士・布施辰治を劇化上演できることは、大いなる喜びです。この公演が、韓日友好発展へのささやかな一石となれば幸いです。

 注 タイトルの『生くべくんば 死すべくんば』は辰治の座右の銘“生くべくんば(=生きねばならぬなら)民衆とともに 死すべくんば民衆のために”から。

 ■『生くべくんば 死すべくんば――弁護士・布施辰治』
日時:3月20日~25日(8回公演)
場所:前進座劇場(吉祥寺下車徒歩10分)
料金:一般5,500円、学生2,500円
℡0422・49・2633


  ふせ・たつじ 1880年宮城県生まれ。明治法律学校(現・明治大学)卒業後、司法官試補(現・検事)となるが辞任し弁護士に。トルストイの影響から人道主義の立場を貫き、数々の社会運動擁護の弁護活動を行う。治安維持法違反で下獄も経験。1953年73歳で死去。2004年10月、朝鮮独立運動家の弁護により韓国政府から「建国勲章」が、日本人で初めて授与された。