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2008/11/28

<韓国文化>在日新世紀・新たな座標軸を求めて 22                                             ― 人間の生き様を記録するプロフェッショナルカメラマン ペ・ソさん ―

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    ペ・ソ 1956年福岡県生まれ。父が1世、母が2世。フォト・ジャーナリストとして週刊誌、月刊誌、新聞などで活躍。ラジオやテレビのドキュメンタリーにも参画している。著書に「写真報告 関東大震災朝鮮人虐殺」(影書房)「となりの神さま ニッポンにやってきた異国の神々の宗教現場」(扶桑社)、共著に「魂の流れゆく果て」(文・梁石日、写真・ペ・ソ、光文社文庫)など多数。

 九州最大の炭鉱地帯・筑豊に生まれる。

 「貧しい炭鉱労働者が、炭鉱長屋に数多く住んでいた。朝鮮人や被差別部落の人は掘っ立て小屋に住んでいた。ある日、同級生が家族ごといなくなる経験を何度もした。父親の炭鉱が閉山すると、長屋にいられなくなるからだ。人生のスタートラインから格差があるのを、子どもながらに見てきたが、その経験が写真家としての血と肉になり現在の活動につながった」

 東京写真大学(現・東京工芸大学)に進み写真を学ぶ。在学中に日本名から韓国名を使うようになった。

 「高校までは同級生に在日がいても、お互いにそのことを言わないような関係だった。在日の歴史などの本を読み、また沖縄出身の友人がアイデンティティーを大切にしている姿を見て、自分も本名を明らかにして生きようと考えた。沖縄の人は日本軍による戦争被害の記憶が生々しく、平和への意識がとても強い。また民族自決権についても彼らから学んだ。大学卒業時はまだ国籍差別の壁があった。写真事務所で助手として働きながら、出版社に勤めカメラマンを目指した。人間の表情、特に素の姿を撮る事に情熱を傾けた」

 在日のロック歌手・白竜や、他にも出自を明らかにする演劇・映画人らと知り合い、彼らの撮影を受け持つ中で、「在日の様々なシーンを記録していくことの大切さを考えるようになった」という。

 そして、1923年の関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺体発掘を実現しようと活動した小学校教諭、絹田幸恵さんらと知り合い、1982年9月1日の東京・荒川河川敷での発掘作業を撮影した。これが出発点となり、震災時に兄を殺され、本人もトビ口で足を切り裂かれたチョ・インスンさんら生き証人を撮影し続け、最初の著作「写真報告 関東大震災 朝鮮人虐殺」を88年に発表した。

 「意図的な流言飛語で多くの朝鮮人が犠牲になった。今日のようなネット社会で起きれば、もっと大きい悲劇が生み出される可能性がある。歴史の悲劇を繰り返さないとの思いを込めて作った。いま、韓国で出版の話があり、20年前に撮影した場所を再び撮影のために訪ねたりした。証言者はすでに亡くなっているが、歴史の証言を残すことがどれだけ大切か、改めて実感した」

 88年から日本の新聞社と契約し、韓国の大統領選挙、戦後補償問題などを取材する。

 「民主化が進む韓国の情勢、元従軍慰安婦など戦争犠牲者がそれまでの沈黙を破って発言を始めた時期にぶつかり、血を流して生きてきた人たちの証言、その眼差しに圧倒された。日本と韓国が戦後ずっと引きずってきた戦争の傷跡が、今も残っていることに愕然とさせられ、自らも使命感を持って撮影してきた。新聞、雑誌、写真展などで随時発表してきたが、製作資金が集まれば集大成としてまとめたものを発表したいと考えている」

 新聞社との契約が終了後はフリーカメラマンとして活動を再開。雑誌、週刊誌、映画のスチールなどの仕事から、コマーシャル撮影まで幅広くこなす。80年代から日本の国際化をテーマに様々な外国人を取材。「鎖国日本が多民族国家になる日」で第28回平凡社準太陽賞を受賞した。「週刊文春」の巻頭グラビア連載「役人天国」は大きな話題となり、「不滅の役人天国・激撮・素晴らしき公務員生活」として単行本化された。

 「動く映像と違い、写真は固定された一枚だ。撮影者も見る者も想像力、解読力が問われる。日本は写真家の養成が技術中心のためか、若者の想像力が養われていない。だからなのか人間を撮影することを嫌がり、廃墟とか物体だけを撮影しようとする若者が現れたりする。写真家の本質は人間を撮影することだ。このままではいい写真家が育たないかも」

 「多くの在日外国人を取材しているが、住居、教育、仕事など在日コリアンが経験した苦労が、いま彼らに押し寄せている。日本の行政の不作為を強く感じる。在日外国人として共に連帯することが必要ではないだろうか。在日の若者がハンディなく社会参加できる条件をつくることが、2世、そして在日組織の課題だ。在日の若者が、閉鎖的な日本社会から自由に世界に飛び出して活躍できるよう、希望の持てる世の中を作り上げないといけない。民族団体はこれまで本国中心に視線を向け過ぎた。求められているのは、在日同胞たちのために汗を流す組織だろう。一刻も早く真の在日同胞団体に脱皮すべき時期だ」