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2009/01/09

<韓国文化>激動の韓国、写真に収めて半世紀

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    「農家の昼食」 (1965年)

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    くわばら・しせい 1936年島根県生まれ。1960年東京農業大学卒、東京写真学校修了。フリーの写真家として活動を始める。水俣、韓国、筑豊、沖縄、ベトナムなどをテーマに撮影を続ける。著書多数。97年生まれ故郷の島根県津和野町に「桑原史成写真美術館」設立。 kuwabarashisei.com

 写真家の桑原史成さんが約半世紀に渡って韓国を撮影した記録「私が見てきた激動の韓国 桑原史成韓国写真全集」が、このほど韓国で出版された。軍事政権に反対する民衆のデモ、ベトナム派兵から、60年代の農村や漁村の風景、そして2007年の大統領選挙に至るまでの写真が、桑原さんの文章とともに掲載されている。また桑原さんの作品から韓国の庶民を中心にした写真68点を展示した写真展が、ソウルのハンミ美術館で開かれている。桑原さんに話を聞いた。

 ――韓国に初めて関わったのは。

 韓国に初めて行ったのは、1964年8月3日のことだ。まだ27歳の若者だった。日韓の国交回復前だったので、入国時も、また韓国での撮影許可などで東洋経済日報社に尽力いただいた。その後も渡韓のたびに協力いただき、本当に心強かった。

 さて当時の韓国は、朝鮮戦争が終わって11年しか経っておらず、国土はまだ復興していなかった。私はソウルや釜山などの都市市民の生活と表情、農漁村の風景、板門店、韓国軍など、足かけ2年にわたって撮影を続けた。「外国人記者」という身分なので、撮影条件は基本的に保証されていた。65年の韓日条約に反対する学生デモや民主化運動の写真なども撮影することができた。

 一方、韓国人カメラマンは新聞社などに所属していればともかく、フリーは制限が多く撮影チャンスも少ないため人材が育たなかった。この時代を撮影した私の写真が当時の記録の一助になっているのは、そういう事情もある。この 65年の取材は、その後の10年間に匹敵するといってもいいぐらいの1年間だった。

 ――ベトナム派兵の写真も印象に残っているが。

 猛虎師団のベトナム出陣のようすを、軍報道部の計らいで取材させてもらった。私が幼い頃、出征する兵士と家族の別れを見たことがあるが、戦場におもむくことは極限状況であり、家族の悲しみは万国共通だと実感した。

 ベトナムには8年間で延べ約30万人が出征し、戦死者は約5000人と聞く。兵士のその後も撮影したかったが、果たせなかったのは残念だ。

 ――韓国の様々な姿を追っているが。

 政治・社会以外にも文化的なテーマ、例えば李朝白磁、高麗青磁などの陶芸から、清渓川沿いに住む北からの避難民、浦項製鉄所など高度成長の姿も写真に収めた。これまで撮影したのは10万カット近くになる。

 写真は歴史の記録であると同時に、見た人の魂をふるわせる美しさ、美学がないといけない。韓国で写真展が開かれるのはこれまでの活動が認知された証しで、とても光栄だ。5月には釜山でも写真展が開かれる。多くの韓国の人々に見てもらえればと思う。