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2009/03/20

<韓国文化>脱北少女に託し難民・貧困描く

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    ファン・ソギョン 現代韓国で最も人気の高い作家。1943年長春(中国)生まれ。62年雑誌『思想界』の新人文学賞を受賞して文壇デビュー。71年『客地』で高い評価を得る。以後リアリズム文学の頂点ともいえる傑作長短編集を次々と発表。代表作に『張吉山』(全10巻)。『武器の影』『懐かしの庭』『客人(ソンニム)』など。

 韓国を代表する作家、黄ソギョンさんの講演会がこのほど、東京・世田谷の世田谷文学館で開かれた。黄さんはこれまでの作家活動、新作『パリデギ』(邦訳、2008年、岩波書店)の世界などについて語った。

 著作の『パリデギ』に関連した話をしたい。

 私は89年11月ベルリンにいた。その直前に平壌を訪問して韓国に帰ることができず、ベルリンに亡命していた。ベルリンの壁が崩壊して東ドイツの市民たちが押し寄せ、広場で喜びあうのを見て、世界は変わるだろう、私の小説も変わっていくだろうと感じていた。亡命生活によって国家からも民族からも抜け出て生活することが出来た。南北どちらからも疎外された状況におかれたが、それが作家として大きな転換の契機になった。

 70~80年代、軍事政権下で私たちが求めたのは、いわばリアリズム文学だった。西洋から伝わったその技法、小説のスタイルを、元来の私たちのスタイルに戻そうとし、世界の現実を私たちの技法で表現しようと考えた。韓国的な形式と叙事を大切にした作品だ。

 91年からニューヨークで生活し、93年に帰国すると(北朝鮮訪問により)獄中生活を強いられた。98年3月に赦免で出獄してから、新しい作品に取り掛かった。『客人』『沈清、蓮華の道』そして第3作が『パリデギ』だ。

 韓半島にはパリデギ神話が47種類もある。そのあらすじは、林の中に捨てられた捨て子が成長し、病にかかった両親を発見して助けるため、西の国に行って生命水を発見して持ち帰り親の病を治し、また民衆を助けるというもの。パリが名前、デギは王女の意味だ。私はそのパリデギ神話をモチーフに、パリを北朝鮮の15歳の少女に設定して表現した。そしてパリという主人公を通して、現在の世界秩序の周辺部にいる移民を表現した。それだけでなく、パリを通して現代世界の姿を描いてみた。

 この小説の主題は「移動と調和」だ。韓国はいまやっと人々がご飯を食べられる国になったが、そういう国になっただけでアジアからの移民が増え、韓国には100万人のオーバーステイ(不法滞在)外国人が存在し、農村の男性には貧しい国から花嫁が多数来るようになった。先進国を目指す難民、労働移住者は世界全体を見るとものすごくたくさんいる。東欧から西欧への移住もものすごい数になった。生活も風俗も宗教も違う人たちが一緒に住むようになると、調和を互いにうまくとって生活しないと葛藤が起きる。

 「移動と調和」「アイデンティティーと多様性」が実現されない限り、今世紀中に現代社会は破滅に向かう危険性を感じている。解決の道を探らないといけない。

 パリデギ神話についてもう一つ語ると、周辺部から疎外されているのは女性たちと見ることもできる。パリは死者の魂と対話できる巫女(ムーダン)の先祖ともいえる。ムーダンはパリデギを自分たちの元祖と考えている。パリは捨てられて苦痛を受けても、それを癒す力がある。私はパリデギを執筆する前に朝中国境で、多くの脱北者にインタビューをした。その話をそのまま書いたらむごたらしくなりすぎるので、夢の形で表現した。

 私は90年代に作家活動を再開してから、韓国の人々に「これからは世界市民にならなければいけない」と話したが、学生から「民族を捨てるのか」と言われたりするなど、なかなか理解を得られなかった。私が「世界市民」と強調するのは、作家として世界の苦難を引き受けることで、国家や民族と距離を置きたいと考えたからだ。90年代に入ってから発表した3作品は、国家主義や民族主義から自由になったと自認している。

 作家とは何か、作家の存在とは何かとよく聞かれるが、作家とは社会のタブーを壊す役割を持っていると思う。

 北では90年代から2000年代にかけて、飢餓のために300万人もの人々が亡くなったといわれている。その時期に韓国では、10兆ウォンにも相当する生ゴミが出ていた。その生ゴミ代が北の飢えた人のためのトウモロコシ代にでもなったら、多くの人が助かったはずだ。罪の無い人たちが苦痛を受ける社会とは何なのだろうか。

 今年から来年にかけて東アジアでは大きな変動が起きるだろう。80年代のベルリンよりも大きな変動かもしれない。いま重要なのは統一ではなく平和体制の確立だ。日本の民主主義にも大きな影響を及ぼすアジアの平和体制をどう築き上げるか、大きな課題だ。