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2009/11/13

<韓国文化>極限下の"母の愛"描く

  • 極限下の”母の愛”描く①

    ポン・ジュノ 1969年生まれ。延世大学卒業後、韓国映画アカデミーで学ぶ。『ほえる犬は噛まない』で長編デビュー。以後『殺人の追憶』『グエムル―漢江の怪物―』などヒット作発表。

  • 極限下の”母の愛”描く②

    ベテラン女優の金恵子が息子を思う母親役を熱演

 韓国の奉俊昊(ポン・ジュノ)監督の最新作『母なる証明』の日本公開が始まった。殺人容疑をかけられた息子の無実を証明しようとする母の姿を通して、社会の闇、個人の深淵を見つめた意欲作だ。来日した奉監督に話を聞いた。

 今回「母」をテーマにした理由は何ですか?

 ――作品の出発点は女優の金恵子(キム・ヘジャ)さんだった。韓国では金さんは母親の代名詞のような、母を象徴する存在だ。その金さんと映画を一緒に撮るにはどのようなストーリーにしたら良いのだろうか、ということを、グエムルを準備していた2004年に考えた。

 2005年に金さんにあらすじについて説明したが、すでにその段階でクライマックスシーンは決めていた。人間は極端な状況に追い込まれた時、その人間の本質があからさまになると考えていたからだ。

 ユダヤの母、イタリアの母が世界的に有名な「強い母」だが、韓国の母親も(子どものための)強靭さやエキセントリックさでは負けていないと思う。

 極限ギリギリのところまで母を追い詰める、そのために息子役のウォンビンさんが必要だった。

 監督の母は、映画に出てくる母親と似ているのか?

 ――私の母はある意味”典型的な韓国の母親”だ。毎日数多く食事の準備をしなければいけないほど、家族も客も多い家庭に嫁いだ。父は日本の明治大学とアメリカのノースウエスト大学に留学し、結婚してまもなく韓国を離れて15年ほどずっと海外にいたので、母は一人で家を守っていた。

 父が帰国してからも、留学をして勉強を重ねてきた父と、田舎で嫁としての生活をしてきた母とは会話が合わず、ある意味かわいそうな人だった。

 母は、留学に出てしまった夫をひたすら思いつつも、子供たちを育ててがんばって嫁として働いていたし、映画の中の母親は夫がいない分、ただ息子を見つめて、時には息子のことを夫のようにも考えながら、息子の為に壮絶に戦いを進めていくという意味では、通じるところがあると思う。

 撮影時の苦労は。

 ――あるいなか町を舞台に設定したが、その町のイメージを保つために、全国20カ所で撮影を重ねた。韓国も都市化が進み、田んぼの真ん中にマンションが建つなどしていたためで、機材を積んだ車とスタッフが移動するのに、多くの時間と費用を費やした。

 キム・ヘジャさんの踊りのシーンはどのように演出したのか?

 ――背景にラテン風の音楽を用いた。ラテン風の音楽は韓国で言えばトロット、日本で言えば演歌と通じるものがあり、悲哀を帯びたメロディだ。それらの音楽はまた、母親やおばさんたちの音楽でもある。

 映画の冒頭の踊りはミュージカルのように事前に振り付けをしたものではなかった。イメージを金さんに伝えて、即興で踊ってもらった。ただ、陽光の下、一人で踊るのはやはり恥ずかしいということで、「みんな一緒に踊りましょう」ということになった。

 真っ昼間の野原で気の抜けたような、魂が抜けたようなぼんやりとしたうつろな表情で踊ってもらったが、その表情が、映画全体のストーリーを予告するものであって欲しいと思った。

 ここで踊っている女性はもしかしたら気がふれているかもしれない、そしてこれから何かが起きるのかもしれないといった狂気を感じさせる場面を表現したかった。

 韓国映画界の現状について。

 ――2003年から06年ぐらいが韓国映画の全盛期で、現在は投資が減り、制作本数も減っている。そのため新人監督が出にくくなっている。ネットで作品を見ることが出来るので、DVD市場も崩壊しつつある。厳しい状態だ。ただ最近はヒット作が数本出ているので、今後に期待したい。

 韓国、日本、中国をはじめ多くのアジアの国々があるが、私たちは互いの映画をどれだけ観ているのか疑問を持っている。お互いの国の映画を観あって、お互いの国の文化をもっと知りあえればと願っている。

 次回作は、氷河期を生き残った人々をテーマにした特殊撮影映画を計画している。