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2010/09/03

<韓国文化>2大巨匠作品に高い関心

  • 門間貴志・明治学院大学准教授

    もんま・たかし 1964年秋田県生まれ。明治学院大学准教授。韓国、中国、北朝鮮を中心とした東アジア映画を研究。著書に「アジア映画に見る日本」など。

  • 2大巨匠作品に高い関心

                  黒澤明回顧展のポスター

 韓国映画の歴史と現状を勉強するため、韓国留学中の門間貴志・明治学院大学准教授に、韓国でこのほど開かれた黒澤明と大島渚の特集上映について寄稿してもらった。

 7月から8月にかけて、ソウルで二つの日本映画の企画上映があった。一つは韓国映像資料院における「黒澤明生誕100周年特別映画祭」、もう一つはソウルアートシネマの「大島渚回顧展」である。偶然ながら同時期に日本の2大巨匠の回顧上映が行なわれたわけである。

 「黒澤明展」では、開会式の舞台挨拶とトークのゲストとして、黒澤作品でスクリプターをつとめてきた野上照代と、黒澤作品に何度も出演した俳優の仲代達矢が招かれた。映画祭は好評をもって迎えられ、多くの映画ファンを動員した。『赤ひげ』の上映をのぞいてみたが、会場はほぼ満席で、観客の年齢層も多岐にわたっていた。三船敏郎と加山雄三のやりとりには笑い声がもれた。

 「大島渚回顧展」は、韓国での上映には意義深いものがある。というのは、大島渚監督の作品には、しばしば韓国の問題がとり上げられてきたからである。太平洋戦争で徴用されて傷付きながらも戦後補償から除外された韓国人の元軍属をめぐるテレビドキュメンター『忘れられた皇軍』(63)、韓国の少年の手記をテーマにした『ユンボギの日記』(65)、小松川事件に材をとった『絞死刑』(67)、そのほか『日本春歌考』(67)、『帰って来たヨッパライ』(67)などの作品で、日本と韓国の関係を鋭くえぐり、痛烈な日本批判を行なって来たからである。それは『戦場のメリークリスマス』(83)における朝鮮人軍属の割腹の場面にまで連なる。

 会期中、シンポジウムが開かれ、日本の映画研究家の平沢剛が大島作品の世界性・時代性について詳述し、歴史問題研究所の藤井たけし研究員が『忘れられた皇軍』と『絞死刑』をめぐって戦後の在日韓国人の法的地位について解説し、さらに私が大島作品における朝鮮をめぐる表象が日本映画の中でいかに特異なものだったかを映画史の観点から話し、その後討議が行なわれた。

 「大島渚回顧展」の最終上映は『戦場のメリークリスマス』だった。満員の場内からは時折笑い声が起こる。何のことはない。映画祭のチラシの作品解説には、この作品における同性愛の要素がしっかり言及されており、観客たちは初めからそんな目で観ていたのだった。しかしジョニー大倉の演じる朝鮮人軍属カネモトのエピーソードは、眉をひそめつつも画面に見入っていた。男色の禁を犯した彼はその罰として朝鮮人でありながら武士のように切腹を命じられるのである。恐らく韓国人ばかりであろう会場でこの映画を観ながら、今から25年前のことを思い出した。

 大学時代、初めての海外旅行先を韓国に求めた。途中、美大の恩師の展覧会の設営を手伝うため、大邱市に数日滞在した。その時、手伝いに来た地元の大学生たちと色んな話をした。彼らも同年代の僕と話す方が気楽だったのだろうが、日本人と話すのは初めてとのことだった。言葉は片言の英語に韓国語の単語を混ぜた拙いものだったが、話題は美術の話からいつの間にか映画に移っていた。

 共通して知っているのはハリウッド映画ばかり。当時の韓国では日本映画は禁止されていたし、『ゴジラ』の話をしてもゴリラと誤解するようなありさまだった。そこで私は『戦場のメリークリスマス』の話をしたのだ。英語で大まかなあらすじを説明し、そこに登場する朝鮮人軍属のハラキリの不条理さについて話をした。もちろん居合わせた美大生たちはこの映画の存在を知らない。

 途中で一人の英文科の学生が「それはもしかしたら、デヴィッド・ボウイが出ている映画のことじゃない?」と聞く。彼は洋雑誌で記事を読んだことがあったらしい。でも坂本龍一のことは知らないようだった。彼は「そんな映画ならぜひ観てみたい」と言った。僕もこの映画を観た韓国人の感想が聞いてみたかった。

 あれから25年、シネマテークや国際映画祭を別にすれば、『戦場のメリークリスマス』が韓国で上映されることはなかった。大邱に住んでいた彼が今どこにいるのか分からない。ひょっとしてソウルに住んでいて、この映画を観ただろうか。あるいは僕の話など忘れてしまっただろうか。

 25年が経った今では、坂本龍一は韓国でも多くのファンをもつ音楽であり、ビートたけしは世界的な巨匠監督となり、韓国での日本映画開放に際しては彼の『HANA‐BI』が公開第一作となった。こんな現在を、20歳の私が想像することはできなかったことは言うまでもない。