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2010/10/22

<韓国文化>韓半島5000年の歩みを知る

  • 韓半島5000年の歩みを知る①

             朝鮮通信使行列絵巻(江戸時代18世紀)

  • 韓半島5000年の歩みを知る②

           鉄造如来坐像(統一新羅時代末~高麗時代初)

 高麗美術館2010年度秋季コレクション名品展「みんなで学ぶ 朝鮮・韓国の歴史と思想」が、京都市北区の高麗美術館で、10月23日から12月23日まで開催される。韓国・朝鮮の歴史を子どもにもわかるように、わかりやすく展示した企画展だ。同美術館の岩城嘉奈子学芸員に文章を寄せてもらった。

 日本と韓国は1965年に締結した基本関係に関する条約をもって国交が回復し、以降2002年のFIFAワールドカップ共催や昨今の「韓流」到来によって、政府機関そして民間レベルでの交流がともに高まりをみせている。日本で放映される韓国映画やドラマには、朝鮮半島の史実をもとにした時代劇も多く、老若男女を問わず人気を博している。しかしその一方で、「高句麗(コグリョ)と高麗(コリョ)は異なる国なのか」、「韓国ではハングルだけでなく、漢字も使われているのか」、「朝鮮半島はいつ南北に分断されたのか」といったごく基本的な疑問を持つ人が少なくないということに留意したい。そこには、映画やドラマという手段以外に、今日の朝鮮・韓国にいたる歴史を学ぶ機会が十分に持たれていない背景がある。

 古来最も交流の深い隣国の歴史や思想が、日本社会の中で深く語られてこなかった経緯が、両国間の長く複雑な関係にあるのは否めないが、今後新たな歴史を刻むにあたって、子どもたちにもやさしい解説をそえて改めて顧みるというのが本展覧会の趣旨である。

 朝鮮半島の古代世界を知る手がかりとして、青銅器時代(紀元前1000年~1世紀頃)に、権力の象徴として制作された「多鈕雷光文鏡(たちゅうらいこうもんきょう)」をはじめ、3~5世紀にかけて朝鮮半島の覇権をめぐり、勢力を争った高句麗・百済(ペクチェ)・新羅(シルラ)が、それぞれの文化圏で製作した「蓮華文瓦当(れんげもんかとう)」を紹介する。寺院の屋根に用いられた瓦当には、同じ蓮華文が彫刻されているが、高句麗は先鋭で、百済には柔和な印象を受ける。そして高句麗、百済の特徴を融合させた様相をもつ新羅の瓦当から、三国の異なる文化性を窺うことができる。

 また、同時代の朝鮮半島に、小国で形成された加耶が存在している。三国に比べ、語られることの少ない加耶諸国は、瓦質土器よりも高温度で焼成される陶質土器を盛んに制作しており、この製造技術が海を渡って日本の「須恵器」の基礎となるなど、日本に多大な影響を与えた。その加耶諸国において祭器あるいは副葬品として製作された陶質土器21基の寄贈を受け、その一部を本展にて初公開している。

 三国統一を果たした統一新羅(668―935)、続く高麗王朝(918-1392)では、仏教が奨励され、各地に建立された寺院や仏像、梵鐘などは仏教文化の盛栄を伝えている。

また、仏教の荘厳な世界観を表現する、煌びやかな仏具が多く生み出されたなか、この時代を代表する随一の工芸品は「青磁」である。中国越窯から製作技術を学んだ高麗人は、その技を研ぎ澄まし、青い釉薬の色が翡(かわせみ)の羽に喩えられる「翡色青磁」、そして他国に類例をみない象嵌装飾を施す「象嵌青磁」を誕生させた。

 高麗王朝の青磁に対し、朝鮮王朝(1392~1910)において尊重された器は「白磁」である。仏教を廃し、儒教を統治理念とした朝鮮時代、清廉潔白を尊ぶその思想が選んだのは「白」であった。官僚「両班」の男性たちは、自らが理想に掲げる高潔な精神性を映し出すかのように、家具にも素材を活かす素朴な装飾を好んだ。

 一方、社会から隔絶された家のなかで、女性たちが信仰したのは、古来人々の暮らしに根づくシャーマニズム・巫堂(ムーダン)であり、家人の健康や繁栄を願う心は、華やかに装飾された調度品にも表れている。

 また、1607年から1811年にわたって派遣された朝鮮からの外交使節団が日本を練り歩く様子を描いた「朝鮮通信使行列絵巻」のなかで、微笑み合う当時の日本と朝鮮の人々に、今後の両国間の歩みを学びたい。

 移りゆく時代は何を選び、その下で人々は何を望み、何に抗ったのか。本展が、美術工芸品に託された人々の想いを紐解き、これからの歴史をどのように紡いでゆくのかを考える、その一助となれば幸いである。


■みんなで学ぶ 朝鮮・韓国の歴史と思想■

日程:10月23日~12月23日
場所:高麗美術館(京都市)
料金:一般500円ほか
電話:075・491・1192