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2011/03/11

<韓国文化>ハングル創製は"革命"

  • ハングル創製は”革命”

    のま・ひでき 1953年生まれ。東京教育大学中退、東京外国語大学卒、同大学院修士課程修了。 96―97年ソウル大学校韓国文化研究所特別研究員。前東京外国語大学大学院教授。05年大韓民国文化褒章受章。著書多数。

  • ハングル創製は”革命”②

                     訓民正音

  • ハングル創製は”革命”③

                 世宗大王像(ソウル・鍾路)

 昨年5月刊行の『ハングルの誕生――音(おん)から文字を創る』(平凡社新書)は、ハングルを論じた硬派の人文書としては驚異的な三万部というベストセラーとなっている。読書人を知的な刺激に巻き込み、第22回アジア・太平洋賞の大賞受賞など、韓日双方で評価が高い。著者の野間秀樹氏(前東京外国語大学大学院教授)に聞いた。

 ――ハングル登場のしかた自体が魅力だと。

 世界には数百種の文字がある。ハングルはまずその登場の仕方からして決定的に違う。15世紀に『訓民正音』という書物の形で登場する。その書物は、私はかくなる文字である、このように書くのだと、文字が文字自らを語っているわけだ。世界の文字史を見ても、こういう書物の存在自体がまず驚異的である。

 ――ハングルの深さとは具体的には。

 〈訓民正音〉は、文字を創るにあたって、漢字という東アジア最強のモデルがあるのに、それを棄てた。これはすごい。正音は、音から文字を創るという戦略だ。一つの音節を音節の頭の子音、母音、音節末の子音、そしてアクセントという四つの要素に解析し、それぞれに明確なる形を与える。この子音、母音という単位は、意味を区別する最小の音の単位、つまり今日の言語学が〈音素〉と呼ぶ単位に、肉迫していた。

 15世紀の朝鮮語は、日本語の東京方言が「箸が」「橋が」「端が」と音の高低で単語の意味を区別するような、高低アクセントがある言語だった。創製期のハングルは〈傍点〉と今日呼ばれる点を付して、このアクセントまで表している。現代のソウルことばでは高低アクセントはなくなっているので、現在のハングルでは傍点を用いないから、研究者も傍点の意義をついつい忘れがちだ。しかし正音はこのように音節を四つの要素に解析する四分法だった。これは現代言語学の水準だ。意味の区別に関与することはすべて表わそうとする思想なのである。

 ――15世紀にあって、〈話されたことば〉は朝鮮語で、〈書かれたことば〉は漢字漢文という、二重言語構造だったと書かれている。なぜ圧倒的な漢字漢文が支配する中で、ハングルを創ることができたのか、またその意義は。

 当時の朝鮮半島における支配的な思想は朱子学だった。では正音は朱子学だけで生み出せたのか?これは絶対にそうは言えない。そして朝鮮半島は千年以上にわたって漢字漢文の圧倒的な歴史の中にある。では漢字漢文が正音を生み出せるのか?それもありえない。それがこの本で〈革命〉と呼ぶゆえんなのだ。

 まず、なぜハングルは生まれ得たのか。自らが先頭に立ってハングルの文字システムを創り出した世宗の天才性に負うところも大きいだろう。世宗の思想はおそらく朝鮮の歴史の中でも最高峰に位置づけられる知であると思う。単にマニアックに文字を作ったなどというものではない。

 ハングルを作り得たもう一つの理由には、自分たちの〈書かれたことば〉があるべきだという熱き思いを挙げたい。

 『訓民正音』には「天地自然の声あれば、則ち必ず天地自然の文あり」などとも書かれている。

 そしていま一つ、文化史的には、彼の地の〈知〉の成熟が、漢字漢文という枠を超え、殻を突き破らざるを得なかった。朝鮮王朝に至るまで漢字漢文を書く歴史は、千年に及ぶ。その知の高みはすごい。世宗たちが本当に闘ったのはこの漢字漢文なのだ。〈知〉のすべてが漢字漢文で成り立っている歴史の中にあって、話されはしても、書くことができない固有のことば、固有の朝鮮語は〈知〉でなかった。正音を創ることによって、ありとあらゆる固有の朝鮮語を〈知〉の中に組み込んだのだ。

 〈知〉の有り様がその根底から覆され、圧倒的に拡大する。私はこれを〈正音エクリチュール革命〉と呼んでいるが、ここに〈音を用いて字を創る〉という訓民正音の戦略がもたらした決定的な意義がある。

 また文字を創れば、自らの〈書かれたことば〉ができるわけではないし、〈知〉となるわけでもない。〈書かれたことば〉は文体から何から、新たに創り出さねばならない。例えば、正音ができてすぐに、朝鮮王朝を頌(たた)える『龍飛御天歌(りゅうひぎょてんか)』といった書物が作られていく。このように、それまで知の枠組みには入っていなかった固有のことばを、文字によって〈書かれたことば〉とし、知の中に組み込むことが、一つ一つ実現してゆく。驚天動地のことだ。

 こうしてハングルで書かれた新たな知が蓄積され、巨大な知の変革も実現していった。

 ――日本語を母語とする人が韓国語を学ぶ意義は。

 三つの歓びを得る。一つは、韓国語圏をより深く知るという歓び。第二に、韓国語と日本語は似ていながら異なる言語だという、まさにそのことによって、学習者は韓国語だけでなく日本語を、そしてことばというものを問うことになる。そうした知的な歓び。第三は、アンニョンハセヨ(こんにちは)と声をかけると、アンニョンハセヨと返ってくる歓び。ことばが人と人とを繋ぐという本質的な深い体験である。韓国語には英語や中国語以上の出会いがある。今は日韓の間で一日一万人以上が往来している。同じ場に存在する友とことばを交わす歓び。こうした三つの歓びを水路として、学習者は知も心も変革を遂げうる。

 ――ハングル普及のための課題は。

 広くあろうとするなら、深くなければならない。浅いものに人は動かされない。深くあろうとするなら、普遍的な視座が不可欠である。ことばや文字を単に道具としてではなく、人間の生や歴史、〈知〉という普遍的な視座において共にする。その知のどれだけの高みに達しうるのか、どれだけ歓びを共にしうるのか、そうしたことが大切だと思う。