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2012/03/30

<韓国文化>ナンセンスとユーモアで社会批判

  • ナンセンスとユーモアで社会批判①

                  「大統領―クリントン郭」

  • ナンセンスとユーモアで社会批判②

                  「無意味 P 385」

 在日作家、郭徳俊(クァク・ドクチュン)さんの個展「郭徳俊展」が光州市立美術館で開催され、静かな話題を呼んでいる。金姫娘・同美術館学芸研究士の文章「異邦人の視線-ナンセンスとユーモアで見せる世界の無意味」を紹介する。

◆属す場所ない在日の生を芸術に 金 姫娘さん(キム・ヒラン、光州市立美術館学芸研究士)

 92年、地方の公立美術館第1号として設立された光州市立美術館は、今年で開館20周年を迎える。河正雄コレクションも、93年の212点から今ではその10倍の2222点に増えた。

 光州市立美術館と河正雄コレクションの歴史を振り返る最初の展示として、社会批判的なテーマをナンセンスとユーモアで表現する独特な芸術世界により、戦後の日本美術史の中で重視されており、00年の光州ビエンナーレに参加、03年に韓国国立現代美術館で「本年度の作家」に選ばれるなど、その芸術的成果を認められている郭徳俊を選び、その芸術世界に光を当てようとするものである。

 郭徳俊(1937年~)は、日本で生まれた在日韓国人として、文化的、社会的に両国において異邦人であるしかない正体性を持つ作家の一人である。彼は自己存在に対する絶え間ない疑問を持たざるを得なかった。また、20代の初期には肺結核にかかり、生死の境を行き来した経験は、人間存在の根源についての問題と現実世界に対して深く省察する機会になり、そのことは作品全般にわたって反映された。

 郭徳俊は、絵画、写真、版画、インスタレーション、ビデオ、パフォーマンスなど、多様な媒体を通して旺盛な活動をした作家として有名である。彼は、60年代初期の作品で、すでに人生の本質をユーモアで貫くように、原始的で戯画的な形象を投入した。そしてコンセプチュアル・アートの洗礼を受けた70年代以後には、《大統領と郭》、《計量機》、《反復》、《消去と表出》、そして80年代以後には《記録》、《社会と壁画》、《無意味》、90年代には《風化》など多様なシリーズを発表した。

 70年代の《反復》シリーズでは、新聞の紙面をシルク・スクリーンで繰り返し刷ることによって、真実であると信じられていた新聞報道を暗い平面のなかに消してしまう。79年以後の《記録》シリーズには、『Time』誌のページを貼った後、写真のイメージだけを残して胡粉を白く塗り、古代の洞窟壁画で見たような原始的な動物模様を繰り返して描き、現代社会の情報を無意味にした。90年代の《無意味》シリーズではスヌーピーに似た人々がコートの襟を立てて何かを気にしながら一つの方向に向かって歩いていく。画一的に同じ格好をしている人々、何かを気にしながら一つの方向に向かって歩いていく人々、コートの襟を立てて何も聞こうとしない人々…決められた枠のなかでどのように生きているのかさえ知らないまま、生きていく現代人の姿を子供の漫画のキャラクターによって描いた一種のブラック・コメディーである。

 代表作とも言える、『Time』誌の表紙を飾った、歴代の大統領の顔と自分の顔を合成して作った《大統領と郭》シリーズもまた同じ脈絡の作品である。『Time』誌の表紙に登場するアメリカ大統領の顔と鏡に映る自分の顔を巧妙に結合したこの作品は、初めて見た瞬間は当然「大統領であろう」と思うが、左の画面にそっと見える作家の横顔や指などの装置を通して、そのトリックに気づく観客は、面くらったり、「騙された」または「可笑しい」などの感情を感じたりする。ここで『Time』誌を使ったのは、それが現在最も影響力のある雑誌だからであり、アメリカの大統領は、この時代の最高の権力者、即ち「世界」を象徴する記号として選ばれているのである。

 韓国にも日本にも属することのできない在日韓国人の正体性に由来する世界を見る客観性、生死の境を行き来しながら経験した人生の意味、既存の芸術形式を拒否したコンセプチュアル・アートの影響とアバンギャルド的傾向などが、特有の芸術家的感性と機知とがよく合い、郭徳俊独特の方式である「世の虚構をつく」ことが可能だったのである。

 郭徳俊は「韓国に来れば日本人か?と聞かれ、日本では韓国人か?と問われる。ナムジュン・パイク(白南準)は米国籍を持っているが、彼は国籍について聞かれないのに、どうして私はインタビューの度に国籍について質問されるのかわからない」と言う。これは韓日両国の捻じれた歴史が生んだ、如何ともしがたい宿命的な軛である。それ故に彼はますます無所属であることを主張し、どこの国でも通じる普遍的な芸術論を繰り広げた。今や彼は両国のどこにいても、堂々とその存在が認められる優れた芸術家として評価されている。

 異邦人の視線から世界の無意味さを物語る郭徳俊の作品は、自身を始めとするこの世のマイノリティのための鎭魂曲たり得ている。<郭徳俊展>を通じて、「祈りの美術」としての河正雄コレクションの精神と崇高なメッセージをもう一度、振り返る機会を持たれることを願うものである。