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2012/05/18

<韓国文化>アジアの美を知る2つの展示会

  • アジアの美を知る2つの展示会①

    「伊丹潤展 手の痕跡」より

  • アジアの美を知る2つの展示会②

    富本憲吉「染付陶板 京城東大門満月」(1934年、東京国立近代美術館)

 2011年6月に急逝した在日2世の世界的建築家、伊丹潤(庾東龍)さんの作品世界を振り返る「伊丹潤展 手の痕跡」がTOTOギャラリー・間で、1910年から45年にかけて大陸に渡った日本人工芸家の作品を通して、日本とアジアの関係について考える「越境する日本人―工芸家が夢見たアジア1910s-1945」が東京国立近代美術館工芸館で開かれ、それぞれ話題を呼んでいる。

◆建築作品を芸術に高める「伊丹潤展 手の痕跡」◆

 「伊丹潤展 手の痕跡」は、デビュー作「母の家」から済州島での一連のプロジェクトなどを一挙公開し、手描きにこだわり、建築を芸術作品にまで高めようとした伊丹の「手の痕跡」を辿る美術展である。

 昨年6月に74歳で急逝した建築家、伊丹潤氏は、在日1世の両親の下、日本で生まれ育った。二つの国のアイデンティティーを受け継ぎながら、独自の創造力で「手の痕跡」を自身の建築に刻み、芸術作品にまで高めようとし続けた建築家である。

 初期の代表作「墨の家」(75年)や「石彩の教会」(91年)など、素材を活かした存在感あふれる建築空間で知られ、98年に竣工した韓国・済州島のゴルフ・リゾート施設をきっかけに、宿泊施設や教会、美術館、集合住宅といった済州島での一連のリゾート開発プロジェクトを手がけ、一躍、韓国での活躍の場を広げた。晩年は円熟味を増し、05年にはフランス共和国芸術文化勲章「シュヴァリエ」、06年には金壽根文化賞、10年には村野藤吾賞を受賞するなど、国内外の高い評価を得るに至った。

 同展では、デビュー作「母の家」(71年)から逝去後の現在も進行中の韓国でのプロジェクトまで24作品を紹介している。模型や写真とともに、手描きにこだわった伊丹氏の多数のオリジナルのスケッチやドローイング、生前のインタビュー映像、愛用の書斎机なども展示し、氏の遺した「手の痕跡」をたどる。

◆「もうひとつの近代」再考 「越境する日本人」展◆

 過去、日本の工芸家にとってアジアとは、理想と郷愁の交錯するあこがれの地だった。大正から昭和戦前期にかけて、多くの工芸家が、工芸の新たなる可能性を求め、あるいは、工芸の源流をもとめ、国境を越えて大陸へと旅立っていった。

 同展では、韓国、台湾、満州、中国などにおける日本人工芸家の活動を、「日本近代工芸史」の一部分として捉え直すとともに、その実態と背景について探っている。

 富本憲吉は1922年、柳宗悦とともに約3週間、韓半島を旅行し、この時に目にした風景などを「李朝陶器写生巻」として描いている。

 浅川伯教は、1923年ごろに韓半島の陶磁史研究に着手した。弟の巧も李朝時代の陶磁器や民芸品を収集し、その保護に尽力した。多くの工芸家の意識の根底には、アジア主義的な思潮があった。彼らの足跡を追いながら、日本の工芸家にとってのアジアについて、また、可能性としてあり得たかもしれない「もうひとつの近代」について考える。


■伊丹潤展 手の痕跡■
日程:開催中(6月23日まで)
場所:TOTOギャラリー・間
料金:入場無料
電話:03・3402・1010


■越境する日本人‐工芸家が夢見たアジア1919s-1945■
日程:7月16日まで開催中
場所:東京国立近代美術館工芸館
料金:一般500円、大学生300円
電話:03・5777・8600
*6月10日午後2時、講座「朝鮮に魅せられた兄弟-浅川伯教と巧」あり