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2013/05/31

<韓国文化>世界的バイオリニスト・円熟味を増した鄭京和

  • 世界的バイオリニスト・円熟味を増した鄭京和

    鄭京和は2010年にけがから復活し、韓国内で公演を行っていた。
    日本ツアーの後、世界ツアーに旅立つ

  • 藤井 浩基 島根大学教授

    ふじい・こうき 鳥取県米子市出身、在住。日韓音楽関係史を研究。98年5月米子コンベンションセンターのオープニングとして、「鄭京和バイオリンリサイタル」の企画・運営に携わる。現在、島根大学教育学部教授(音楽教育、音楽学)。

 世界的バイオリニストの鄭京和(チョン・ギョンファ)が、日本で15年ぶりとなるリサイタルを来月開催する。藤井浩基・島根大学准教授に、鄭京和の音楽世界について文章を寄せてもらった。

◆「日本で始まる新たな挑戦」 藤井 浩基(島根大学教授)◆

 来月、鄭京和が8年ぶりに来日公演を行う。特に今回はリサイタルによるツアーで、日本では前回1998年から実に15年ぶりとなる。

 2005年9月、手指を痛め、キーロフ歌劇場管弦楽団のソウル公演を降板し、以後、演奏活動休止を余儀なくされる。一時は引退もささやかれるほどであった。しかし、5年のブランクを経て2010年5月に、ソウルでフィルハーモニア管弦楽団(英国)と協演し復活を遂げる。この経緯については、10年6月4日付本紙掲載の拙稿をご覧いただきたい。

 その後、11年12月には、“She is back”と銘打ったリサイタルをソウルほか韓国各地で開催し、文字どおり本格的な復帰を果たした。

 12年に入ると、ソウルフィルとのブルッフ《スコットランド幻想曲》の協演、明洞聖堂におけるバッハの無伴奏ソナタ・パルティータ全曲演奏会、アフリカの子どもを支援するチャリティーコンサートなど、レパートリーや演奏会の趣旨など、休止前とは異なるスタンスで意欲的な活動を展開している。

 筆者も11年12月のリサイタルをソウルに聴きに行った。モーツァルト、ブラームス、フランクのソナタを中心としたプログラムは、実に力みの取れたしなやかな演奏だった。アンコールでは、フォスターの《金髪のジェニー》やグルックの《精霊の踊り》などが披露され、小品のレパートリーの広さも、新たな境地を印象づけるものだった。

 筆者は終演後に楽屋を訪ね、復帰を祝う言葉とともに、同年逝去された母・李元淑さんへのお悔やみをそっと伝えた。演奏は、常に彼女に寄り添い、あらゆる面で支えとなっていた最愛の母に捧げるおごそかな祈りにも聴こえた。実際、亡き両親をはじめ、親しい人の好きだった曲が選曲されていたという。

 復帰後、活動の場を韓国に限っていたことは、慎重に慎重を期す彼女の姿勢であろう。今回の来日は、復帰後初の海外ツアーとなる。しかし、日本は彼女にとって決して次なる国際展開への足掛かりの場ではない。誰よりも聴衆を大切にする彼女の姿勢は、全身全霊を傾けた演奏はもとより、ステージマナーやファンサービスにおいても定評がある。それは「世界のどこに行っても同じ」と、彼女は常々言うが、日本は、熱烈なファンが多い一方で、かつて経験した演奏とは直接関係のないバイアスも織り込み済みであろう。あえて日本から復帰の海外ツアーを始めるのも、還暦を過ぎた彼女の新たな挑戦に違いない。

 同行するピアニストは、90年ショパンコンクール第2位(1位なし)のケヴィン・ケナーである。共演者選びも厳しく、来日の度にピアニストが異なるのも鄭京和の特徴である。ケナーは日本では若干地味な存在であるが、鄭京和の新境地にふさわしい落ち着きと絶妙なバランス感覚をもった名手である。

 来日に合わせ、CDもリリースされる。前回98年に東京で行われた二夜のリサイタルがライブ録音されたものである。やり直しのきかないライブでこそ、鄭京和の本領は最大限に発揮される。演奏による聴衆との対話や、時間の経過に沿って演奏が熱を帯びていく様子が、手に取るようにわかるはずである。筆者はその10日後に地元・鳥取県米子市で、東京の二夜の混成プログラムを聴いた。当時、鄭京和はちょうど50歳になったばかりで、円熟の極みと言ってよい貫禄の演奏であった。あれから15年、人生の波を乗り越えた新境地に今あらためて接したい。