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2015/09/18

<韓国文化>韓流シネマの散歩道 第16回 「北の同朋」というアポリア(難問)                                     二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

  • 韓流シネマの散歩道 第16回 「北の同朋」というアポリア(難問)

    朝鮮戦争に巻き込まれた兄弟を描いた『ブラザー・フッド』

  • 二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

    たむら・としゆき 1941年京都生まれ。一橋大学卒。東京都立大学経済学部教授、二松学舎大学教授などを経て現在は二松学舎大学客員教授。

◆朝鮮戦争はどう描かれてきたか◆

 だいぶ昔の話だが、ある韓国人留学生が私に、「幼いころ、日本人と共産主義者の頭には角(つの)が生えていると教わりました」と笑った。その彼が現実には、中国人学生と肩を並べて、それも角を生やした〈倭奴(ウェノム)〉先生の授業を受けていたのだ。

 中国人にとって日本人は、〈鬼子(クウェイズ)〉だった。中国では「抗日もの」というジャンルが確立していて、そこでの日本人像は時代により、政権の都合により揺れ動いてきた(劉文平『中国抗日映画・ドラマの世界』、祥伝社新書)。

 実際、勝者の側面と敗者の側面、被害者の立場と加害者の立場の折り合いの付け方しだいで、狡猾で残忍な兵士というステレオタイプから運命との葛藤に悩む人道主義者まで、幅広い日本人が登場する。

 近年の傑作というべき『鬼が来た!』(2000年、姜文監督)は、鬼の日本人も血の通った人間であるという認識と長年の固定観念をつつみ込んだドラマを、監督と日本人主演者とのバトルを通じて完成させたものだった。両者のやりとりは、香川照之『中国魅録』(キネマ旬報社)に詳しい。

 私の教え子がもうひとつの鬼と教わった「北の同朋」については、話は複雑にならざるを得ない。アメリカ映画でも朝鮮戦争を扱ったものは少なくない。

 ただし『MASH(マッシュ)』(69年)は、D・ハルバースタムによると、朝鮮戦争ものに見せかけているが、実は「ベトナム戦争の隠れミノ」だった(『朝鮮戦争』、文春文庫)。

 当然ながら韓国には、この戦争を扱った名品が多いが、ここではとくに、『ブラザーフッド』(04年、既出)をとりあげよう。川本三郎は、「朝鮮戦争を憎しみによってではなく、悲しみによって描き切る。新しい世代が確実に登場している」という(『現代映画 その歩むところに心せよ』、晶文社)。

 また、姜帝圭監督の脚本をもとに日本語でノベライズした集英社文庫の解説で石坂健治は、90年代末から、「かつての反共映画のように北を敵として教条的に糾弾することよりも、南北分断を朝鮮民族全体の悲劇として捉えることに重点が置かれている」という。確かにその通りなのだが、なぜ「悲しみによって描く」のか、「民族全体の悲劇」と捉えるようになったのかについては、蛇足ではあろうがやはり付言が必要だろう。


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