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2015/06/12

<韓国文化>肖像画の伝統が「写真」受容に大きな役割

  • 肖像画の伝統が「写真」受容に大きな役割①

    開化派の集合写真(真ん中が朴泳孝、後列左から4番目が兪吉濬、1880年代)

  • 肖像画の伝統が「写真」受容に大きな役割②

    いぬぶせ・まさかず 1950年大阪府生まれ。76年京都大学卒業。現在、大阪芸術大学芸術学部芸術計画学科教授。専門は美学、映像論、視覚文化研究。

 韓国への写真伝来史を紹介する「韓国写真史1631~1945」(崔仁辰著、青弓社)がこのほど発行された。韓国の人々が写真をどう生活の中に受容したかを知る貴重な資料だ。監訳を担当した犬伏雅一・大阪芸術大学教授に文章を寄せてもらった。

◆「韓国写真史」を監訳して 犬伏 雅一(大阪芸術大学教授)◆

 いわゆる写真、つまりフォトグラフィーが中国、朝鮮半島、日本に伝来する前から、「写真」という言葉が肖像画についてこれらの地域で使われていた。

 崔仁辰先生の『韓国写真史』は、この問題に明確に切り込んでいる。これまで朝鮮半島については、この意味での「写真」の伝来と流通について十分な研究がなかった。崔先生は、朝鮮半島における17世紀、18世紀と展開された実学研究の中にカメラ・オプスクーラの(暗箱)原理の受容とその実践についての事実資料を見出された。日本でもカメラ・オプスクーラの到来とその原理受容についての研究は行われてきたが、朝鮮半島での事情は全く知られていなかった。

 この両者の伝来受容の比較考察が今後可能になると思うし、日本と朝鮮半島においては周知のように儒学的、あるいは朱子学的な形而上的世界観が支配的な思考のインフラだったので、このインフラの上にヨーロッパの近代科学的世界観に裏打ちされた光についての議論が入ってきて、この二つの地域でそれとどのように対峙したのかは大変興味深い課題だ。


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