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2016/07/15

<韓国文化>渡来人の軌跡をたどる

  • 渡来人の軌跡をたどる

    高麗氏系図(高麗神社蔵)日高市指定文化財

 高麗建郡1300年を記念して、高麗神社では建郡1300年記念行事が行われている。一方、埼玉県立歴史と民俗の博物館では特別展「高麗郡1300年~物と語り~」が16日~8月31日まで開催。古代寺院の出土遺物などの考古資料をはじめ、高麗神社や聖天院の宝物や地域に残る古文書などの歴史資料を中心に紹介、古代高麗郡の実像とその歴史がどのように語り継がれてきたのかを明らかにする展覧会だ。

 高麗神社の主祭神は、かつて韓半島北部に栄えた高句麗からの渡来人・高麗王若光だ。若光が渡来した年代についての社伝はないが『日本書紀』天智天皇称制5年(666年)10月、高句麗から派遣された使節の中に「若光」の名がある。

 高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったことを考えると、『日本書紀』にある「若光」と当社の御祭神である「高麗王若光」は同一人物と思われる。

 若光は元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任した。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たった。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀った。これが高麗神社創建の経緯だ。

 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になる。

 高麗神社では先人への感謝を表し、地域の発展を願って、「高麗郡建郡1300年記念事業」を企画し、神社主催による様々な催し物を行っている。


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