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2016/07/29

<韓国文化>日本とコリアの関係を人間的なものに

  • 日本とコリアの関係を人間的なものに①

    (左から)姜在彦、金達寿、李進熙(季刊誌「三千里」創刊者)の3人が、徐彩源氏(三千里社長)の墓前で、80年代

  • 日本とコリアの関係を人間的なものに②

    ひろせ・よういち 1974年、兵庫県生まれ。大阪府立大学大学院博士課程修了。近畿大学国際人文科学研究所特別研究員を経て、大阪府立大学非常勤講師・客員研究員。編著:『金達寿小説集』(2014年12月 講談社文芸文庫)。

 廣瀬陽一・大阪府立大学非常勤講師がこのほど、「金達寿とその時代―文学・古代史・国家」(図書出版クレイン、四六判、472㌻、3000円+税)を出した。作家、歴史研究家として、「日本と朝鮮との関係を人間的なものにする」ことを生涯の課題とした故金達寿氏についての研究書だ。廣瀬さんに寄稿をお願いした。

◆古代史研究通し関係改善訴える 廣瀬陽一・大阪府立大学非常勤講師◆

 金達寿(1920~97)は、解放後、半世紀にわたり、日本とコリア、日本人とコリアンとの関係を人間的なものにすることを生涯の課題として活動した在日一世の知識人である。70年前後を境に前半生を文学、後半生を古代史の領域で活躍し、「在日文学」というジャンルや「渡来人」の語を日本社会に根づかせる上で、決定的と言える役割を果たした。さらに彼は70年頃まで、朝連-総連からも民団からも等距離な場所から日本社会に発言できる、ほぼ唯一の在日知識人として孤軍奮闘した。

 本書ではこの人物の、波乱に満ちた生涯を概観した上で、文学活動・古代史研究・北朝鮮や総連および韓国との関係という、3つの主題に分けて考察することで、彼の知的活動の全体像を、初めて総合的に論じた。

 金達寿は慶尚南道昌原郡の鄙びた村に生まれた。しかし日本の植民地支配が進む中で家は急速に没落し、10歳の時に東京にやって来た。少年時代の彼は、日本人は「日本人」と言われても怒るどころか誇りにさえするのに、なぜ朝鮮人は「朝鮮人」と言われると怒りを感じずにはいられないのかと苦悩した。

 彼はやがてそれが、日本の植民地下にある朝鮮人の社会的地位を正当化するイデオロギーを、無自覚的に内面化した結果だと認識し、解放後、民族意識への覚醒を主題とした小説を、日本語で数多く発表した。それらは多くの日本人から、植民地支配への反省を迫るものと高く評価された。

 だが彼は50年前後から、進歩的と言われる日本人知識人が、〈大東亜共栄圏〉的発想と変わらない差別的発言を行うのを耳にし、また在日の中にも、未だ自分が「奴隷状態」にあることを自覚できず、かつてファシズムを謳歌した日本人と意識が変わらない者が少なくないことに気づいた。

 こうして彼は、日本人とコリアンとは対立関係にあるのではなく、「植民地的人間」へと作り替えられた日本人とコリアンが対立させられている関係にあると考えるようになった(当然、このことは植民地の人々に対する日本人の加害責任を些かも軽減するものではない)。金達寿はこの認識に基づいて、日本人とコリアンの両方を抑圧している「敵」の姿と、それへの抵抗を、「朴達の裁判」(1958)などの小説に描き、両民族の間に人間的な関係を構築しようとした。そしてその試みは、古代史研究において全面的に開花した。


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