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2016/12/02

<韓国文化>韓日児童文化史を再発見

  • 韓日児童文化史を再発見

    キム・ソンヨン 1978年釜山生まれ。慶州大観光日本語学科卒。九州大学大学院日本社会文化専攻博士課程修了。08年久留島武彦文化賞受賞。現在、久留島武彦研究所所長。

 韓国出身の近代文学研究家で、08年に久留島武彦(くるしま・たけひこ)文化賞を史上最年少、また外国人で初めて受賞した金成妍・久留島武彦研究所長が、このほど第39回巖谷小波(いわや・さざなみ)文芸賞を最年少で受賞した。金さんのライフワークともいえる韓日児童文化史の研究について寄稿してもらった。

◆童話を俳画で表現した巖谷小波 金成妍・久留島武彦研究所長◆

 「日本のアンデルセン」と呼ばれた男がいる。その名は久留島武彦。明治・大正・昭和の三代にわたって、「信じ合うこと」、「助け合うこと」、「違いを認め合うこと」等、人が人として、共に生きていく上で必要な教えを、楽しいお話にのせて子どもたちに語り聞かせた教育者である。

 韓国人の私が「久留島武彦」の名を知ったのは、12年も前のことである。当時通っていた九州大学の正門前で恩師が亡くなる3日前に手渡してくださった本が、「久留島武彦追悼集」であった。亡き恩師からの最後の宿題だと思い、ひたすら「久留島武彦」について調べた。そして2008年、博士論文「越境する文学―朝鮮児童文学の生成と日本児童文学者による口演童話活動―」で、久留島武彦文化賞を受賞した。恥ずかしかった。何もしていないのに、このような賞をもらったことに戸惑った。

 久留島武彦のことを書いて地域新聞に投稿した。

 それを読んで久留島武彦の故郷である大分県玖珠(くす)町の人から連絡があり、玖珠町での講演活動が始まった。講演の要請が相次ぎ、久留島学講座まで設けられた。玖珠町は、1950年に久留島武彦童話活動50年を記念して童話碑を建立し、日本童話祭をはじめた。それから「童話の里」を掲げ、毎年子どもの日に日本童話祭を開催している。しかし、「玖珠町はなぜ童話の里なのか」という問いかけに答えられる町民は少なかった。

 5年間あらゆる所で講演をした。私に対する好奇心は、共感となり、一人二人と支援者が現れた。サツマイモや生姜をタライでもらうこともしばしばあった。記念館を建設しようという署名運動も起こった。そして、来年4月28日、本当に久留島武彦記念館が開館することになった。奇跡のような出来事ではあるが、7年という歳月を振り返ると、私は、孤独だった。家族のいる韓国に帰りたいと思う日も少なくなかった。しかし途中で投げ出すわけにもいかず、黙々と調べ続けた。

 久留島武彦が語り歩いた口演先を調べ、資料を収集する調査活動の中で、口演が行われた学校や公民館、その周辺旅館に、巖谷小波の書がかかっているのを度々目にした。日本近代児童文学の開拓者である小波は、1898年、日本で初めて口演童話活動を開始し、久留島武彦と共に全国を語り歩きながら童話の普及に努めた口演童話家であるが、現在日本全国43カ所に句碑があるほど、名高い俳人でもあった。小波の作品を見かけても、最初はそれが「俳句」ということも知らなかった。


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