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2017/06/09

<韓国文化>徳恵翁主の激動の生涯を描く

  • 徳恵翁主の激動の生涯を描く

    『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』

 大韓帝国最後の皇女、徳恵翁主(トッケオンジュ)の激動の生涯を、フィクションを交えて描いた歴史スペクタクルドラマ『ラストプリンセス 大韓帝国最後の皇女』が24日、東京・シネマート新宿ほか全国順次公開される。アジア映画の研究者、門間貴志・明治学院大学文学部芸術学科教授に同映画について文章を寄せてもらった。

◆歴史に翻弄された悲劇の女性 門間 貴志(明治学院大学文学部芸術学科教授)◆

 『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女(原題:徳恵翁主)』は、二つの点で関心を持った映画である。一つは、近年の韓国でしばしば見られる日本統治時代ものともいうべきジャンルの作品であるという点。もう一つは失われた朝鮮王朝をどうとらえるかという点である。

 日韓併合の前後の王朝を描いた歴史映画は過去にも多くの映画が撮られてきた。高宗と閔妃、大院君、あるいは英親王と方子妃などが映画やドラマで描かれてきた。しかし徳恵翁主を主人公とした映画はおそらく初めてであろう。

 韓国人の多くもその存在を忘れかけている人物であったが、彼女を主人公とした小説が出版されるなど、近年脚光を浴びている人物でもある。

 高宗の側室の娘として生まれた徳恵は、12歳の時、日本へ送られ学習院に学んだ。長じて旧対馬藩宗家の当主・宗武志と結婚し一女をもうけたが、少女期に病んでいた統合失調症が悪化。戦後韓国への帰国を望むも、王家の復興を警戒した李承晩大統領によって拒まれる。朴正熙政権期にようやく帰国と韓国籍取得が叶い、晩年をソウルの昌徳宮で過ごした。言うなれば歴史に翻弄された悲劇の王女である。映画は彼女の生涯をそのコンセプトで描いていく。

 しかし冒頭に「この映画は史実をもとにしたフィクション」であると断り書きがあるように、かなり脚色がなされている。映画であれば作品をドラマチックにするための脚色は当然なされるものである。しかし韓国史に関心のある身としては、史実との大きな違いは気になった。

 高宗の死が日本の陰謀であることを匂わす表現は、このジャンルの映画の定番でもある。しかし高宗の死を徳恵が目撃したのは史実ではない。日本に送られてから日本語を学んだように描かれているが、すでに京城の小学校で日本語による教育を受けている。小学生の時に童謡を作詞したというエピソードも、映画では作曲したことになっている。この程度の脚色は、実在の有名人を描く映画ではしばしば行われるレベルかもしれない。

 徳恵が精神を病んだのは実母の死に際しても朝鮮に帰れなかったことが原因のように描かれているが、史実では葬儀に参列しているし、兄である純宗の葬儀の時も帰っている。朝鮮に戻る条件として親日演説を強要されるという場面もフィクションである。宗武志との結婚生活もあまり幸福ではなかったように描かれているが、実際の二人は仲睦まじく、この時期は統合失調症も回復傾向にあったという。

 戦後の韓国にすぐに帰れなかったのは事実である。爵位と財産を失った夫との離婚、娘の自殺、そして長い入院生活。このあたりの経緯は映画ではさらりとしたものである。他にも、徳恵翁主が朝鮮独立運動に担ぎ出されて大立ち回りをしたり、英親王李垠が上海から亡命を企てたりと、史実との大きな食い違いに目がいってしまう。

 クライマックスは、


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