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2018/03/16

<韓国文化>宣祖の功臣教書発見

  • 宣祖の功臣教書発見

    宣祖が義州に蒙塵するとき、御者に授けた宝物級の功臣教書

 壬辰倭乱(1598年慶長の役)の時、朝鮮王朝第14代国王・宣祖(ソンジョ)が義州に蒙塵(都落ち)する際、自分の馬の手綱を握った御者に授けた宝物級の功臣教書が、日本で初めて発見された。

 高麗大学校民族文化研究院・海外韓国学資料センター(センター長=鄭雨峰国文学科教授)は、先月18~24日、日本の京都大学附属図書館の書庫を調査し、馬を操縦する御者「吳連(オ・ヨン)」に授けた扈聖功臣教書をはじめとする遺物と、印刷版が極めて少ない庚午字(安平大君の文字で鋳造した金属活字)の刊行書籍など、貴重な古文献約500冊を発見したと発表した。

 扈聖功臣は、宣祖が自分を義州まで扈從する手柄を立てた86人に、1604年に授けたものだ。功臣教書は、国内に9冊が残っているが、そのうちの6冊が宝物に指定されている。既存の教書は文臣(8冊)と医官(1冊)のものだけで、理馬(司僕寺で宮中の馬を管理していた雑職)が受けた功臣教書が発見されたのは「吳連教書」が初めてだ。

 今回発見された教書には、「朝廷の内外の臣下と民はそのほとんどが獣が逃げたかのように、鳥が隠れてしまったかのように振る舞ったが、君は下隷(低い身分)として王を後にすることなく、王の御輿と世子の出征に手綱を取る手柄を立てており」と、吳連が低い身分にも関わらず、忠誠を尽くしたと強調した。

 吳連は石城君に封ぜられた(任命された)。「龍蛇扈從錄」には、彼が「扶餘の正兵として御輿に従った」と記録された。

 高麗大学民族文化研究院の朴ヨンミン研究教授は、「吳連は良民出身の正兵(正規軍)として宣祖に随行したものとみられる」と語った。

 当時から、宣祖の功臣冊封は公平性の面で今日も批判を受けている。戦で命を捧げて戦った将帥などに授けた「宣武功臣」は18人に過ぎず、主要将帥と義兵長が除外されたためである。一方、宣祖は「扈聖功臣」を大規模に冊封し、自分を補佐した人たちは御者まで身分の上下を問わず、気にかけた。しかし、


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