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2018/08/31

<韓国文化>無力な個々が結集、大きな変革果たす

  • 鄭憲・アジアン美容クリニック院長

    チョン・ホン 1963年、東京・新宿生まれ。韓国・延世大学校医学部卒。上野にアジアン美容クリニックを開業。帝京大学病院美容センター講師。アンチエイジング手術を得意とする。

  • 無力な個々が結集、大きな変革果たす

    民主化闘争を描いた『1987、ある闘いの真実』

 韓国現代史の転換点となった1987年の民主化闘争を描いた『1987、ある闘いの真実』が、9月8日から全国順次公開される。鄭憲・アジアン美容クリニック院長に映画評を寄せてもらった。

◆イデオロギーや政治による心の分断への警告 鄭 憲さん(アジアン美容クリニック院長)◆

 1987年 ソウル。この映画の中心舞台となる延世大学校で留学生活を送っていた私にとっても特別な作品である。

 他科の学生に比べると真面目で優秀ではあるが、多少個人主義で政治活動や学生運動に対しては関心が低いとみられる医学生の中にも講義の合間に集会を開き、軍事独裁の非を訴えデモの参加を呼び掛ける同級生のメンバーがいたことを思い出す。

 作品中、学生運動を主導するグループがアニメの上映会と銘打って、一般学生を誘い「光州事件」のビデオを見せるシーンが登場するが、確かに私も同級生から前置きなく同じような内容のものを見せられた記憶があった。普段は一緒に酒も飲み、くだらない話や失恋の悩みも面白おかしく話す友人であっただけに、騙されたとまでは言わないまでも何か気まずい思いを感じた。

 しばし講義がデモによって中断され、そのたび催涙ガスによってひりつく顔を水で洗う日常の中、レポートや試験の準備に忙しく政治どころではないという気持ちもあったが、本音は日本からの留学生ということで、目立つような行動は避けたいという無意識な自己防衛心が働いたのかも知れない。それほど当時の軍事政権による監視圧力は強く感じるものだった。

 映画の背景となる80年代、軍事クーデターにより国を掌握し1979年までの18年間、軍事独裁的政権を続けた朴正熙大統領が暗殺で倒れたことで一時、国民の民主化への期待は高まったが、全斗煥・保安司令官による戒厳令発令と光州民主化運動の弾圧、そして新たな軍事政権の誕生で、その期待は打ち砕かれた。

 しかし、知識層、特に理想を求め、ある意味純粋な学生たちから言論の自由、直接選挙による民主主義政権の樹立のための強い熱意やその為の民主化運動は自然な流れでもあり、その中心となったのが「386世代」と言われた「1990年代に年齢が30代、1980年代に大学生活を送り、1960年代生まれ」の彼らであった。

 反面、戦後の植民地支配からの独立、6・25戦争(韓国戦争、朝鮮戦争)による南北分断と常に周辺国の中で翻弄されてきた韓半島の歴史では、外交、政治、経済の早急な発展のためにはある程度の独裁政治をやむなしとする意見も皆無ではなかった。特に生活にさほど余裕がない一般の国民からは、親のすねをかじる学生が本分である勉学を怠り、政治運動をすることに批判的な声もあったはずである。

 それが1987年、ソウル大生・朴鍾哲(パク・ジョンチョル)と延世大生・李韓烈(イ・ハンヨル)の二人の死により一気に国民全体の闘争に発展し、


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