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2019/04/19

<韓国文化>韓流シネマの散歩道 第42回 植民地時代史をどう描くのか                                     二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

  • 韓流シネマの散歩道 第42回 植民地時代史をどう描くのか

           韓国の国民的詩人・尹東柱の半生を描いた
           『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』

◆悲しい時代を繰り返さないために◆

 日本による植民地支配から解放にいたる時期をどのように描写するかは、支配者だった日本はいうまでもなく、当の韓国・朝鮮にとってもかなり悩ましい問題である。

 まず、軍国主義日本を断罪したはずの「東京裁判」がかなり怪しい。これが、勝者による敗者への裁きだったことはいうまでもない。

 問題はこの裁判が、植民地主義については完全に頬かむりをしたことだ。粟屋憲太郎によれば、もともと米国の起訴状草案では、「朝鮮」が訴追の対象地域に含まれていたという。ところがその後、地域としての「朝鮮」は脱落し、朝鮮の代表も裁判に参加していなかった。日本の植民地支配を断罪することは、裁判参加諸国にとって、まさに天に唾することにほかならないからである(『戦争責任・戦後責任』、朝日新聞社)。

 また、例の「731部隊」の扱いについても合点のいかない点が多い。石井四郎以下の細菌部隊指導者たちは、戦争犯罪、あるいは人道に対する罪のいずれに問われることもなく、名誉ある余生を送っている。

 独立を果たした被支配者側には、南北分断ばかりか、同族相残の地獄絵が待っていた。日本で「戦後」といえば第2次世界大戦を指すのに対し、韓国では朝鮮戦争後として捉えるのが普通である。加えて最近、大韓民国の起源を上海臨時政府の設立年(1919年)に求める主張があるという。歴史の描き方がますます厄介になってゆく。

 政権の都合で歴史を書き換えてゆくとどうなるかは、G・オーウェルの『一九八四年』(早川文庫)を持ち出すまでもない。いっぽう日本では、一部メディアがやたら反韓・嫌韓感情を煽り、韓国映画が独立運動を少しでも扱おうものなら、スワ「反日」もの、と騒ぎたてる。

 『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』(許秦豪/ホ・ジノ監督、2016年)がその好例だろう。冒頭で、史実と異なる話が挿入されると断っているにも拘わらず、である。高宗(コジョン)の娘・徳恵翁主(トッケオンジュ、孫藝眞/ソン・イェジンが好演)が、日本に強制留学させられ、宗武志と結婚するものの離婚、精神病院に長期にわたり収容される。史実に反する部分というのは、彼女が独立運動家として活動する一連のシーンである。だが、ドラマを盛りあげるための挿入と理解すれば、特に目くじらをたてるほどのことでもない。

 『空と風と星の詩人 伊東柱の生涯』(2015年)は


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