ここから本文です

2020/10/23

<韓国文化>韓流シネマの散歩道 中国語文化圏と韓流映画  第55回                                     二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

  • 韓流シネマの散歩道 中国語文化圏と韓流映画  第55回                                     二松学舎大学 田村 紀之 客員教授

    韓国戦争時、仁川上陸作戦に参加した海兵隊の一部隊の、激戦下での戦友愛を描いた『帰らざる海兵』

◆中国、台湾、東南アジアで先に話題◆


 その昔、台北の街角での話である。たまたま、日本の歌謡曲集という音楽テープをみつけ、中身を確かめることもなく買った。帰国後、聴いてみて驚いた。B面の最後の曲が、なんと韓国の『ナグネ・ソルム』(旅人の哀しみ)だったのだ。

 最初は、日本の演歌(艶歌)と韓国のそれとを混同したのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。全曲中国語で歌っており、日本人の歌手もこの曲をカバーしていたから、日韓の歌謡曲の区別などは、どうでもよいのだと気づいた。

なにせ、私が熱烈なファンであるテレサ・テン(鄧麗君)が日本の歌を中国語で唄っているのを聴くと、国の違いなど、いとも簡単に消えてなくなる。例えば、日本の『港町ブルース』は、彼女の『誰来愛我』に、つまり、ご当地巡りが、恋待ち女に化けてしまう。

しかも例の艶っぽい美声で、「不知誰来愛我!」と唄いあげられると、もはや完全にテレサ・テン節になってしまう。

 韓流シネマにとっても同様に、台湾と香港は大のお得意様だった。韓国最初の輸出映画は1957年、『アリラン』、『黄真伊』、および『山有花』の三篇で、相手は台湾と香港。大陸とはまだ国交がなく、対日および対米輸出が始まるのは62年、それも輸出総計で5本というお寒い状況だった。海外輸出が三桁に達するのは69年、そしてピークは翌70年の242本。この伸びは、日本以外のアジア市場の開拓努力の結果である。国内の製作総数が200本前後だったから、大健闘というほかない。


つづきは本紙へ