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2021/06/18

<韓国文化>植民地時代の朝鮮に生き、愛された日本人

  • 植民地時代の朝鮮に生き、愛された日本人

    (右から)河正雄さん、尹昌子夫人、長谷川誠・北杜市教育委員会学術課学芸員、比奈田義彦・浅川伯教・巧兄弟資料館館長

 浅川巧は山梨県北杜市高根町出身で、植民地時代(1910~1945)の朝鮮半島で生活、朝鮮の人の立場で朝鮮を捉えようとした数少ない日本人だった。今年は浅川巧生誕130年・没後90年で、それを記念して在日2世の実業家・河正雄(ハジョンウン)さん(光州市立美術館名誉館長)が、同町の浅川伯教・巧兄弟資料館前広場に「浅川伯教・巧兄弟顕彰碑」を寄贈した。河正雄さんに寄贈の思いについて寄稿してもらった。

浅川巧(1891~1931年)は、山梨県北杜市高根町に生まれた。山梨県立農林学校卒業後、4年余り秋田県大館営林署で農林技手として務めたが、兄伯教と前後して朝鮮に渡る。

 農林技手として植林緑化の普及に努める傍ら、失われようとする朝鮮の美の発掘に貢献した。植民地下にあった朝鮮に生き愛された稀有の日本人である。

 1959年、秋田工業高校3年生の時に、安倍能成著『青丘雑記』の「浅川巧さんを惜しむ」という文を読み、浅川巧に憧れと感謝の念を抱いた。

 秋田工業高校時代に浅川巧を知った事から、浅川巧は私が在日として生きる為の人生哲学を学んだ敬愛する日本人の一人である。人間誰でも自分だけの隠し田を持ちたがるものだが、朝鮮人と向き合った浅川巧は隠し田など一切持たなかった。

 自分のルーツが高句麗人だと思っていたらしい浅川巧は高句麗人の血が故郷の朝鮮へと、私を呼んでいると告白した事でも朝鮮への愛の深さがわかる。


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