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2007/09/21

<韓国経済>開発論を超えて 第1回 ――韓国「開発年代」再考

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    たにうら たかお 1941年東京生まれ。63年東京大学理学部卒業、アジア経済研究所入所(韓国経済担当)。90年新潟大学経済学部教授。02年から共栄大学国際経営学部教授。著書に「韓国の工業化と開発体制」、「アジア工業化の軌跡」(いずれもアジア経済研究所刊)など。

共栄大学国際経済学部 谷浦 孝雄 教授

 1969年のOECD加盟で先進国の仲間入りを果たした韓国。40年以上にわたって現代韓国経済の分析をされている共栄大学の谷浦孝雄教授に開発年代の韓国経済の発展を再考していただく。

 今年末予定されている韓国の大統領選挙の野党ハンナラ党の候補者として前ソウル市長の李明博氏が選ばれた。李氏は現代財閥拡張期の代表的な経営者の一人である。また、僅差で競り負けた朴槿惠氏が朴正熙元大統領の長女であったことから、両者は韓国の開発年代の経済と政治を象徴する人物とみられた。朴正熙元大統領はいうまでもなく開発年代の強権統治の主役であり、現代財閥は同時代に次から次ぎへと韓国の主要産業を立ち上げて世界的な企業に成長させた代表的な企業グループである。

 ―開発年代とは

 開発年代とは60年代初の韓国の急速な工業化の開始から90年代の先進国入りに至るまでの時期を指すことばである。この呼称にはその時代を主導したとされる経済企画院を中心とする経済官僚らの自負がこめられているように思われる。

 ところで、開発年代をどう評価するかは韓国の政治選択にも大きく関わっているが、特に財閥による果敢な産業投資と朴政権の強権統治の関係が問題である。差し当たり、有権者は後者はもうご免だが、前者の主導による経済の活性化にまた期待してみようという意思を示したということであろう。

 開発年代の歴史的評価としては、「李的なもの」と「朴的なもの」を切り離すことなく、むしろ両者の切り離しがたい内的連関を論理的に明らかにしたところでなされるべきなのであろう。韓国の開発年代を高く評価する者も、否定的に見る者にとっても悩みはそこにあるのかもしれない。しかし、今日の有権者ではないが、研究者は気楽である。両者をいったん切り離し、「李的なもの」がどこまで自立的な論理展開をもてたのかを見定めることが、韓国の経済発展における「李的なもの」の評価に留まらず、韓国の経済発展そのものを開発論の広い視野から評価することになると思ったりすることができるからである。

 私は1963年に大卒とともにアジア経済研究所に就職、ハングルを学ぶところから韓国経済の勉強を始め、最初にやらされた仕事が韓国の第1次経済開発5カ年計画修正案の概要の取りまとめと当時発表されたばかりの工業センサスの解説であった。以来まさに韓国の開発年代をただ追いかけるのに忙しかったというのが実感である。正直に言って開発理論はきちんと勉強しなかったし、その視点から経済分析を行うという自覚も希薄であった。アジ研での仕事は、激しく変化する韓国経済の実態を追いかけることに終始したが、それはそれで大変面白かった。しかし、大学で開発論の講義の真似事を行うようになってから、その観点からの韓国経済発展の意義を整理してみようと思うようになった。

 韓国の開発年代を再考するに当たって格好の書物が現れた。今年3月に発刊された金立三著『韓国経済の奇跡』(花房征夫翻訳、晩聲社刊)である。私は同時代にあったとはいえ外の観察者に過ぎず、それなりに客観的に実態を把握しようと努めたつもりだが、どこまで真実に迫れたかは心もとない。金氏は、全国経済人連合会等韓国の各種の経済団体の指導的人物としていわば内部のプレーヤーとして活動した人であり、その観察記録は迫力に満ちまことに興味深いものがある。

 金氏の著作の真骨頂は、開発年代における民間企業家の役割に対する高い評価とその事跡の詳細な記録である。当時の経済運営については、「韓国株式会社」という表現に現れているように、朴政権の指導的役割を高く評価する見方が主流である。政府の指導の下に手足となって働く財閥、というイメージが一般的なのである。金氏の著作にはこのようなイメージを破壊すべく無視されている事実を書き残して置きたいという気持ちが満ちている。

 これからこの紙面をお借りして、金氏の著作はじめいくつかの論文紹介する形で、開発論への意義という観点から、開発年代の韓国経済の発展を再考してみたいというのがこの雑文の意図である。