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2000/07/28

<随筆>◇家康が高麗人参服用◇

 NHKの大河ドラマ「葵徳川三代」も佳境に入り、いよいよ大阪冬の陣から大阪夏の陣に突入、おもしろくなってきた▼それにしても家康の丈夫なこと。子どもたちが先立つなかで、66歳でなお子宝に恵まれるとは、ただただ脱帽、畏れ入る。この元気の源は、なんと、韓国の特産品、高麗人参にあったという話である。高麗人参は古くから韓国の山岳地帯に自生し、いまから4、5千年前にはすでに薬用として用いられていたといわれるが、日本で最初に重用したのが家康らしい▼家康は、秀吉の侵略で悪化した朝鮮との関係修復を図り、日本に連行された捕虜たちの返還に尽力したことがよく知られている。これが韓日友好の象徴ともなる朝鮮通信使の往来につながるわけだが、高麗人参が日本に入ってきたのは、一説によると、朝鮮の使節が家康に献じたのがはじまりとか▼これを家康、いたく気に入り、専用の畑で栽培し、朝夕煎じて服用していたといわれる。このおかげで家康は74歳という、人間50年といわれた当時では信じられないほどの長命を保つことができた▼江戸幕府は享保のころ、薬用人参の普及を図るため、「御種人参」として諸大名に分け与え、北は北海道の松前藩から南は薩摩藩まで、二十数藩で栽培された。御用窯として珍重された陶磁器とよく似ている。明治維新後は民間の栽培が許可され、今日でも、長野、福島、島根が高麗人参の三大栽培地として知られている。韓国戦争のころは、価格が暴騰し、日本の高麗人参栽培農家が潤ったと聞く▼陶磁器にしろ、高麗人参にしろ、歴史をひもとくと、韓日関係の深さにいまさらながら驚かされる。両国の縁(えにし)を大切にしたい(N)。