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2002/11/15

<随筆>◇雑感―病床にて思ったこと◇ 崔 碩義 氏

 個人的なことで恐縮であるが、私はこの夏、心臓バイパス手術を受けた。心臓の血管に動脈硬化が進み、血液の流れが悪くなったからである。今まで狭心症の兆候がなかったわけではないが、血管を広げるニトロベンという薬さえ口の中に含めば、けろりと直った。

 入院した日は、胸部に強烈な発作が走り、薬を口に含んでも効果がなく、このまま絶命するのではないかと一瞬思えた。そこで救急車で、某国立病院の循環器科に運ばれた。直ちに心臓カテーテル検査をした結果、心臓の冠動脈の数箇所に狭窄があることが分かったのである。心臓を切開してバイパス手術をするしか、生き延びる手段がないという結論には、流石にショックを受けた。

 ぼつぼつ年貢の収めどきかも知れないと覚悟する一方で、できたらもう少し生き長らえたいと本能的に激しく抗うものがあった。生と死について達観して思考することは、凡人の私にはとうていできない話である。

 手術は「まな板の鯉」になることだが、麻酔から醒めたのち、私は幻覚に襲われたり、一時、精神が錯乱したことがあったらしい。その後は、病床から白雲が悠々と流れるのを眺めて過ごし、無事退院にこぎつけた。

 だが、退院して3カ月が過ぎたのに軋むような胸の痛みが一向に良くならず、足のむくみで、歩くのもぎこちないときている。肉体の表面だけでも80㌢以上を切り刻まれ、もはや私はビョンシン(廃人)の身の上になったことを意識せざるを得ない。こうなれば、生きれるところまで生きてみようと観念している今日この頃である。

 巷では、拉致問題が連日のように報道されない日はなく、私のような者の出る幕ではないが、余白に一言記すことにする。

 あの金正日総書記が今になって拉致を認め、謝罪したのは何故か、何を企んで謝罪したのだろう?本当に反省してそうしたとはとうてい思えない。それにしても、13歳の女子中学生などを拉致する拙劣で、卑劣なやり方に絶句せざるを得ない。

 拉致問題で謝罪した事実を北の国民に知らせないことも理解しがたいが、日本の世論の一部に、明らかに朝鮮人を蔑視し、悪意を持って論ずる連中がいることも問題である。

 今度のことで在日に大きな変化があったとすれば、朝鮮総連に激震が走ったことだろう。いつまでも北の独裁体制に盲従するよりも、在日本来の使命に戻るのが重要である。

 私は北の体制とその価値観に絶望して久しい。軍事優先を唱えるものは、いずれ軍事力によって打倒されるということは歴史の教訓だ。このさい、国民を飢えさせてきた指導部の失政の責任は追及されるべきだろう。

 「国破れて山河あり」と杜甫は詠ったが、体制や政権(国家)は 幾ら亡んでも、山河と人民が残る限りなんということはない。人民あっての指導者であって、その逆では断じてない。
                  (本紙2002年10月11日掲載)


  チェ・ソギ  フリーライター。慶尚南道出身。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学専攻。