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2002/09/27

<随筆>◇神々しい珍島の海割れ◇ 新・韓国日商岩井 大西憲一理事

 私は今、「モーゼの奇跡」韓国版の「珍島の海割れ」の現場にいる。海割れは潮の満ち引きによって起きる自然現象だが、その時の風向きも微妙に影響するので、海がはっきり割れる時期は限られている。4月末から5月にかけては正に「その時」なのである。島の東にある回洞(ヘドン)から2.8キロ離れた茅島(モド)まで、通常は6mもの水深を誇る海中に、「その時」には突然幅10m以上の海道が出来るのだ。

 「珍島のケイコさん」こと瀧口さんといろいろ話し込んでいるうちに、海割れの時間が近づいてきたが、この道10余年のケイコさんは心なしか静かな海を見ながら「今日の風向きではどうかな?」と専門家らしい口ぶりで私を不安がらせた。ちょっと待ってくれ。ここまで来て割れなかったではかなわない。敵が後に迫っているではないか(何を言ってる)。

 モーゼになったつもりで心の中で手を合わせて必死に祈ったら、何と、水が引いて行くではないか。海が割れるではないか。奇跡が起こったのだ(予定通り割れただけなのだ)。

 喜び勇んで、未だ十分に水が引き切っていない海中に駆け込んだ。あたりは既にヒトヒトで一杯。一部の人は用意周到に膝上までの長靴を履いてドンドン歩き出している。その内に大地がくっきりと姿を見せ、見事な一本道が出来上がった。割れている時間は約1時間。その間に往復するのはかなりタフ。急ぎ足でひたすら向こう岸を目指す人。記念撮影に忙しい人。あさり掘りに熱中する中年の女性。みんな神の贈り物をさまざまな形で堪能している。

 「ちょっとシャッターをお願いします」明らかに日本人と思われる若い女性から声をかけられた。彼女が特に私に関心があったからではなく、私がいかにも日本人に見えたからだ。

 彼女はカナダの外資系会社に勤めているOLで、休みを利用しての韓国旅行の途中であった。溌剌とした健康美の彼女の話によると、一度は珍島の海割れを見たいと言っていた母親が昨年亡くなったため、お母さんの夢を実現するために姉妹で来たのだという。ただ、日本から合流したお姉さんは気分が悪くて民宿で休んでいるとのこと。

 旅は道連れ。彼女と連れ立って神の道をひたすら急いだが、復路の途中から潮が満ちてきて道がだんだん隠れてきた。お陰でズボンもびしょ濡れ。出発地点に着くと道はほとんど消えて、元の大海原に戻っていた。神の営みの終わりとともに、太陽も水平線に沈みかけていた。神々しい瞬間だ。冗舌だった彼女も落日をじっと見ている。天国のお母さんを思っているのだろう。

 すっかり日が暮れても海辺の喧騒は終わらない。夕食は近くの屋台で「チョゲクイ(焼き貝)」を食べた。名前の分からない、いろんな形の貝を炭火で焼いて、冷えたビールで流し込んだ。潮風に吹かれての珍味と美人。ビールの酔いがいつもより早かった。珍島の夜はこれからである。
                    (本紙2002年8月16日号掲載)


  おおにし・けんいち 1943年福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、昨年7月から新・韓国日商岩井理事。