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2003/04/18

<随筆>◇国際結婚◇ 武村 一光 氏

 私の知人に何組かの国際結婚組がいる。ノルウエー人の貿易商と結婚しLAに住み、庭のレモンの木がご自慢のUさん、一人っ娘なのにインド人と結婚、ボンベイ(ムンバイ)に20年住んで数年前にご主人に先立たれ、いまは東京に住むMさん、ロンドンで互いに一目惚れ、前の奥さんと別れ韓国美人と一緒になり、その奥さんが東京の下町で韓国式美容院を営むH氏などだ。皆さん実に幸せそうだ。

 ご主人を亡くしたMさんが幸せというのもおかしいかもしれないが、年老いた母親の面倒を思いっきり看ていて、もしご主人が存命ならいくら親孝行をしたくても、そうそう付きっきりで看護するわけにはいかない。夫を亡くして寂しくないとは言わないけれど、こうして体が不自由になった母と一緒に暮らし、面倒を看てあげられるから満足とMさんの表情は明るかった。

 生れ育ちや言葉がまったく違う国際結婚を互いにうまくやっていき、幸せな日々を送ることがそう簡単とは思わないが、こうして身近にお付き合いしてみると、日本人同士の夫婦より何となくほのぼのとした感情を互いに持っていて、相手を尊敬し合っているいるようだ。かえって羨ましい。

 パリ留学中に韓国男性と相思相愛の仲になり、両方の親に反対されながら辛抱強く説得し、結婚に漕ぎつけたKさんはソウル駐在の頃ハングルを一緒に勉強した仲間だ。パリで知り合ったというだけで教室の女性陣はが然興味を示し、何語で話し合っているかとか、子供が生れたら韓国人にするの、それとも日本人、などといろいろ質問攻めにし新婚の彼女をからかった。

 そんなKさんもいまは6歳と3歳の一女一男のお母さん、毎日子供を叱りながらソウルで暮らしているが、あんまり怒りすぎて顔が鬼みたいになっちゃったと、茶目っ気たっぷりにその美しい顔をほころばせる。子供達はパパとはハングルでママとは日本語で話すそうだ。新婚時代はフランス語で語らっていた夫婦の会話もいまはすっかりハングルになった。

 女の子は智美、男の子は大俊と名付け、夫々ともみ・まさとしと読み、チミ・テジュンと呼び、目に入れても痛くない可愛がりようだ。そのチミちゃんが今年から小学校に入る。隣の子と同じように韓国の小学校に入れるか、日本人学校に入れるかで迷っている。ご主人は女の子だから日本人学校でもいいのではと言っているのだが、その言外に下のテジュン君は当然男の子だから韓国の学校に行かせるつもりなのだ。Kさんはこの男女差別に一寸不満気だ。

 日本人学校と韓国の小学校では、使う言葉から始まって勉強の内容もずいぶん違うだろう。特に歴史の見方に至っては正反対のことだってあり得る。一体どうしたものかと相談され、子供は逞しいからどちらに行っても同じじゃないかと答えたものの、その結論はまだ聞いていない。いずれにしてもチミちゃんやテジュン君が長じて日韓親善に大きな役割を果たすことは目に見えている。今後二人がどう成長して行くか楽しみにしている。
                  (本紙 2003年3月28日号掲載)


  たけむら・かずひこ  1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。