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2003/03/14

<随筆>◇大統領の涙◇ 新・韓国日商岩井 大西 憲一理事

 旧正月休みのテレビで次期大統領に決まった盧武鉉当選者夫妻のインタビュー特別番組を見た。司会者のユーモア溢れる質問に乗せられて、当選者夫婦はくつろいだ雰囲気の中で、これまでの生い立ちや選挙運動の苦労話などを淡々と語っていた。

 全体的に同氏の飾らない実直な人柄が滲み出ていたが、特に当選者がいかに権良淑夫人を射止めたかのくだりでは、汗をかきながら弁明する姿に思わず微笑させられた。結婚後も続いた生活苦を思い出しながら権夫人が涙ぐんだ時は、夫人の手を握りしめながら一緒に涙を流していた。涙もろい私は思わずもらい泣きしてしまった。

 その後、当選者の釜山訛りと額のしわの物まねで売っているコメデイアンや、当選者のそっくりさん(やや老けているが顔はよく似ている)が出て来たりで、会場は和気あいあいのムードに包まれた。とても次期大統領のインタビュー番組とは思えない庶民的な雰囲気であった。

 16代大統領に当選した盧武鉉氏は、下馬評では有利と言われていた李会昌候補を僅差で破り、「盧武鉉の奇跡」と言われている。「カネも、組織も、学歴もない。そんな人間でも大統領になれる」と選挙中に繰り返していたセリフが実現したのだ。「軍人支配」に続く「3金」の長い時代を経験してきた韓国で、正真正銘の庶民派大統領誕生である。既に何度も紹介されているように、盧当選者は釜山の貧しい農家に生まれ、中学校では学費が払えず1年休学、商業高校卒業後は働きながら独学で司法試験に合格、88年に国会議員初当選後も2回落選している。政界の中でもつい最近まで知名度は低かった。昔、同姓の大統領が言い出して国民の失笑を呼んだ「ポトンサラム(普通の人)」がぴったりである。

 同じく立志伝中の代表者、日本の田中角栄元首相の場合はカネがふんだんにあった。権力の世界に程遠い盧武鉉氏当選の秘密は、国民が「安定より変化」を選んだからだ。そして、今回のテレビ番組を見て分かったことだが、彼の実直なキャラクターが国民の共感を呼んだものと思う。

 韓国の歴代大統領の晩年は皆不遇である。亡命あり暗殺あり刑務所あり。体操で言えば途中までの演技は華やかだが着地に失敗している。韓国だけの現象ではないが、権力構造社会のひずみと言えよう。その点、盧当選者には権力者の匂いが余りしない。これまでの大統領とは明らかに違っている。公約で宣言した「古い政治の清算」と「地域主義の克服」は言われ続けて久しいが、彼ならやれるのでは、との期待がかかる。

 ただ、新しさには期待と共に不安が伴う。南北関係は混沌としており、対米関係も不協和音が聞かれ、韓国経済は予断を許さず、財閥との摩擦も噂されている。課題は山積み。新船長による「新韓国丸」は荒波に向けて出帆した。先日のテレビインタビューで受けた次期大統領の清新な人柄と、夫人の横で涙を流した後に淡々と語った大統領としての決意を聞きながら、私は激励の拍手を送っていた。
                  (本紙 2003年2月21日号掲載)


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。