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2003/01/24

<随筆>◇マルサウム(口げんか)◇ 新・韓国日商岩井 大西 憲一理事

 久しぶりに韓国式のマルサウム(口喧嘩)を楽しんだ。先日、韓国の南部にある昌原市に出張したが、昌原バスターミナルから利用したタクシーのキサニム(運転手)が相手だった。乗り合わせた車のキサニムはサングラスをかけた兄ちゃん風で最初から嫌な予感がしたが、目的地の略図を見せると、近距離のためだと思うが露骨に嫌な顔をしながら無言で発車した。

 そして直ぐに煙草に火をつけながら、運転席の窓を目一杯オープンした。いきなり12月の寒風が飛び込んできた。「寒いじゃないか、この野郎―」と怒鳴りかけたが、確かにワンメーター距離ではあるし、仕事前からカッカするのは自分の損とじっと我慢。間もなく停車した会社の表札は、よく見ると私の訪問先ではない。

 「ここ、会社の名前が違いますよ」とできるだけ丁重に訴えると、「略図を見るとここやがな」と慶尚道サトリ(方言)で自信満々。「じゃ、略図にある隣のL電子はどこ?」「そこにLガソリンスタンドがあるがな」。「電子とガソリンスタンドは違うのに。そんなに言うなら確認するからちょっと待ちんしゃい」。守衛さんに聞くと案の定別の会社で、私の目的地はもう1ブロック先だと。ここからマルサウムが始まった。

 「やっぱり違うじゃないか」と少し気色ばって抗議する。「この略図がおかしい」自分が間違ったとは言わない。「オメエ、さっきから下手に出ていると勝手な事ばかり言いやがって、それが客に対する態度か」遂にキレて声を荒げた。「こんな略図を見せる方が悪い」

 確かに略図は簡単すぎるきらいはある。続いて「ポンポンポンポン」と意味不明の言葉が続く。「日本人だと思って馬鹿にしたら、シンゴするぞ」(シンゴとは当局に訴えること)。「やれるものならやってみろ。このチョッパリ野郎」シンゴという言葉が効いたのか、捨て台詞を吐いて一気に駆け去った。実は、敵はもっといろいろ怒鳴っていたのだが、慶尚道サトリの早口ではよく理解できない。ただ、最後に耳にしたチョッパリとは韓国人の好物の豚足のことだが、日本人の悪口の切り札としても使われる。昔、下駄を履いていた日本人の足指が豚足に似ているところから来ている。

 我に返って「ちょっと待てー。そこまで連れて行ってくれー」と叫んだが後の祭り。久しぶりのマルサウムは、当然ながら小生の完敗に終わったが、決して後味は悪くなかった。相手の鮮やかな手並み、いや、口並みがあまりに見事だったからだ。

 訪問先までは歩くとかなりの距離だが他にタクシーは見当たらない。やむなく重いカバンを提げながらトボトボと歩き出した。「キサニムも決して高くはない給料で苦労しているところへ、ワンメーター距離のオッサンにウダウダ言われて頭に来たんだろうな。いい年をして大人気なかったな」終わってからのいつもの反省である。
                 (本紙2002年12月13日掲載)


  おおにし・けんいち 1943年福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、昨年7月から新・韓国日商岩井理事。