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2004/08/06

<随筆>◇忠州への旅◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 慶尚道という名前は慶州と尚州という地名の頭文字をとったものだ。慶州は新羅の首都として有名で、今も観光都市として内外に知られている。しかし尚州は、申し訳ないけれど何ということもない慶尚北道の地方都市だ。同じく全羅道は全州と羅州の頭文字からきている。

 全羅道も現在は南北に分かれているが、全州の人だちに言わせると全州がある全羅北道は「全羅上道」で全羅南道は「全羅下道」だという。つまり全州こそは全羅道の中心だとして自慢するのだ。全羅南道にある羅州は光州の隣にあるが、いまや光州に押されて印象は薄い。

 江原道は東海岸の江陵と内陸部の原州の名前からきているが、二つの都市とも道庁の所在地ではない。道の名前の由来になった都市はいずれも古くからの街だ。道の名前に関係なく現在、道庁所在地になっている釜山、昌原、大邱、光州、大田、春川などはほとんど日本統治時代に都市として発展したところだ。

 ところで中部の忠清道は忠州と清州の名前をとったものだ。二つとも忠清北道にあっ道庁の所在地は清州だ。その意味では忠州はかわいそうだ。人口も今や清州の方が圧倒的に多い。

 先日、市の招きで忠州を訪れた。緑と水の多い実にきれいな街だった。忠州ダムとそれにつながる忠州湖によってちょっとした‘水郷都市’になっている。郊外に出ると忠州湖の上流で清流と奇岩で絶景の丹陽がある。また忠州の南には韓国でぼくが最もお気に入りの水安保温泉もある。

 水安保は山間にあって、近くにはソウルへの関門にあたる‘聞慶関門’がある。このあたりの山を鳥嶺というが、韓国でよく聞く「嶺南地方」とか「嶺東地方」という時の「嶺」はこの鳥嶺のことを意味する。このあたりは昔、地理的、政治的にそれほど重要な地域だったということだ。

 忠州はソウルの奥座敷という感じのところだが、意外に知られていない。そこで市当局もご多分に漏れず‘街おこし’に懸命だ。その一つが毎年秋にやっている「国際武術大会」である。世界各国の伝統武術を一堂に集めたイベントだ。

 それがなぜ忠州かというと、韓国の伝統武術「テッキョン」の故郷が忠州だからだ。そこで「テッキョン」を見せてもらったのだが、日本の空手や中国の太極拳をミックスし、それを優雅にした感じで実に面白い。老若男女がやれて健康法にも使える。日本でもPRすれば流行るかもしれない。

 ただ、道場主の話によると韓国の「テッコンド」は日本の空手から出たもので、「テッキョン」こそが韓国の伝統武術だという。この両者にはどうも微妙な本家争いがあるようだ。日本のことがからんでいるだけに「君子危うきに近寄らず」である。深い入りは避けて次の日程を急いだ。


  くろだ・かつひろ  1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。