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2004/04/23

<随筆>◇女性の名前◇ 崔 碩義 氏

 昔の朝鮮の儒教社会では、男女間の恋愛そのものを頭から否定した。親が決めた結婚こそが絶対だったのである。要するに男女間の恋愛感情は一時的な心の迷いと見たのである。これに反して男どうしの友情、信義はとても貴重なものと考えた。

 大儒の李退渓は「男女にはおのずから守るべき区別がある」といったし、宋時烈のごときは『戒女録』のなかで「夫がたとえ百万の妾を囲うことがあっても妻は文句(嫉妬)をいってはならない」という暴言を吐いた。

 朝鮮女性史は女性の人権をありとあらゆる形で踏みにじってきた男尊女卑の歴史であるといっても過言ではない。つい最近まで、女性は男性に従属するものという考えが濃厚に残っていた。これは在日社会とて決して例外ではない。何げなく見過ごしてきたが、女性の名前にそうした残滓が色濃く投影しているように思える。

 今日はそうしたことを話題にしたい。

 朝鮮女性の名前といえば、貞淑を意味する淑の字が圧倒的に多く使われて来た。次いで、親と夫、老いては子に従順であれという意味で、順という字が続く。それ以外には、姫、玉、愛、伊、娘、美、珠、恵、粉、福、敬といった字があてがわれて来たのである。

 私の母によれば、自分が末娘であった関係で末順と名付けられたが、それには「娘はこれで終わり」(タルン、イジェ、クマン)という意味が込められていたと、しみじみと述懐するのを聞いたことがある。

 周知のように、日本の植民地時代に名前まで日本式にして下に子(ジャ)という字をつけるのが流行した。もともと朝鮮には女性に子という名前をつける習慣はなかった。今の在日は日本に住んでいる関係から女の子に子という名をつけるのはごく普通で、違和感のようなものはない。むしろ当たり前というべきか。

 そこで、在日に多い女性の名前を挙げれば、英子、文子、秀子、花子、春子、秋子、栄子、明子、玉子などじつに多彩だ。君子?というのまである。

 最近は、伽耶(カヤ)、錦玉(クムオギ)、美沙(ミサ)、早苗(チョミォ)、美喜子(ミヒジャ)、千代子(チョンテジャ)、世津子(セジンジャ)といった美しい語感をもつ名前まで現れて千差万別だが、ただ、韓国式で発音する場合、奇異に聞こえるという難点がない訳でもない。

 話はかわるが、クリスチャンたちは一時、洗礼名を漢字表記したのが流行ったことがある。例えば瑪利亜(マリア)、愛施徳(エスター)、美利士(ミリサ)、愛利秀(エリス)、安那(アンナ)、梅里(メリー)、活蘭(ファルラン)といった具合にである。

 「虎は死んで皮を残し、人は死んで名前を残す」という諺があるが、私は在日の女性たちの命名に関して教訓的なことをいうつもりはない。せめて今後、自分の娘によりよい名前をつけるために知恵を絞れといいたい。 


  チェ・ソギ  フリーライター。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学史専攻。慶尚南道出身。近著に『金笠詩選』(平凡社・東洋文庫)がある。